北欧音楽にこだわる理由を明らかにするエッセイの前に、ちょっと寄り道をしてみた。北欧紹介のコーナー、アンサンブルイリスのコーナーに掲載する資料をまとめるうちに、2年間様々な指揮者との出会いがあったことをあらためて思い出したのだ。簡単な紹介コーナーとして出会った順に書いてみた。
<オレ クリスチャン ルート ノルウェー>
ラハティ響ではじめにお目にかかった。ニールセンの交響曲第2番をさわやかに仕上げていた。
<スサンナ マルッキイ フィンランド>
若手女性指揮者。来日公演も2001年5月にあった。
<ハンヌ コイブラ フィンランド>
今年40歳になる。ヨエンスーにポストを持つ。彼の母親は音楽マネージメントを手がけている。
<ワシリー シナイスキー ロシア>
日本でもおなじみ。ショスタコヴィッチの交響曲第15番は見事だった。緻密な指揮。要領の良いリハーサルだった。
<パーヴォ ベルグルント フィンランド>
大御所。オーケストラは久しぶりの客演に戦々恐々。しかし実際は好々爺の面持ち。リハーサルも和やか。「なんでヘルシンキではなく、ラハティに来たのかな?」と にやっとされた。
<エン シャオ 中国>
ロンドンに拠点を置く指揮者。まめな雰囲気。リハーサル中の英国風ジョークには皆も喜んでいた。(?)
<モーシェ アツモン ハンガリー>
なかなか厳しいお方。日本でもおなじみの人。
<ジョン ストルゴルド フィンランド>
ヴァイオリンを専門としていた、若手指揮者。人気者である。リハーサルも上手。
<ディヴィド アニュス イギリス>
合唱出身。ヴォ―ンウィリアムスを実に美しく作り上げた。自然体で爽やかな人物であった。
<ヤーノシュ フュルシュト ハンガリー>
バルトーク、コダーイの旋律の特徴を歌いあげ、しっかりオーケストラに伝授していた。
<サカリ オラモ フィンランド>
フィンランドの次のホープとして英国、フィンランドで活躍。バーミンガム響を引き連れ、来日公演を果たしたばかり。とにかく一生懸命。
<フィンランド軍楽隊の指揮者たち>
ヘルシンキの陸軍、トゥルクの海軍、ラハティ、ミッケリ、ヨエンスーの指揮官などなど複数の指揮者たちと、指揮者講習会でめぐり合う。コンサート会場や音楽祭などで折に触れ出会いよき仲間となる。
<ユッカ ペッカ サラステ フィンランド>
おなじみの指揮者。放送響のリハ―サル、録音でおめにかかった。素朴で率直な人物と思った。ラハティのホールでの録音ではスコアを挟んでの相談ができたのが収穫。
<トゥオマス オッリラ フィンランド>
若手指揮者だが、デビューが早かったそうで、フィンランドでは中堅のキャリアとなるらしい。
<エサ ペッカ サロネン フィンランド>
世界的に次の世代のリーダーとして期待されるフィンランドのホープ。こちらも放送響のリハ―サルなどでお目にかかった。明るく華がある人物。お目にかかった翌週はベルリンフィルへの客演ということで、意識はほとんどそちらにいっているようだった。
以上が2000年秋~2001年春のシーズンでお目にかかった指揮者たちである。
(つづく)
2002年10月14日