なぜ北欧音楽を? その2

シベリウス交響曲第1番の力強さと優しさのコントラストに非常に魅力を感じているうちに、ニールス ゲーゼというデンマークの作曲家の存在を教えてもらった。この交響曲第1番の衝撃は忘れられない。ゲーゼは1817年-1890年の人生であるから初期~中期ロマン派の作曲家達と時代を共にする。師匠メンデルスゾーンの影響を非常に受け、同時にシューマンの歌、ブラームスの骨格など様々近似値の色は見えるが、総じてそのどれにも属しない独特な色合い、節が印象に残るのである。「まだこんな作品があったのか」という喜びであった。その後交響曲第1番5番6番を音にする機会を得た。メンデルスゾーンにとても愛着を覚える私であるが、その意味でもこのゲーゼを知り背景の北欧を知ることができたのは大きな収穫であった。そして弦楽作品である。

 ご存知のように、イギリスの演奏団体は北欧の作品を多く取上げている。エルガー、ブリテン、ヴォ―ンウィリアムス、ディーリアス、ブリッジ、ウオルトン等等指揮する機会が増える中、その透明な響きと清潔感の魅力から離れられなくなる。録音資料を探すとその中に一緒に北欧の弦楽作品が含まれることが度々あった。そうしていつしか、シベリウスをはじめとして、グリーグはもちろん、ラーション、ヴィレーン、エングルンドなど北欧各国の弦楽作品とめぐり合っていったのである。もともとピアノを学んではいたが、憧れは弦楽器にあった。コンサートマスターに憧れ、正直のところ子供の頃、指揮者は邪魔だ!と感じていたのである。演奏会に行っても オーケストラのリーダーであるコンサートマスターばかりを見ていた。今思うとこれは指揮者失格なのかもしれないが・・。高校生ではじめてサークル活動の名目でヴァイオリンを手にできたときは狂喜乱舞。もちろんもっとも安いセット。しかし自分にとっては名器であった。 この弦楽作品から導入したということが、後に北欧のオーケストラ作品のスコアを読み込むのに良かったと思っている。特にフィンランドの作品はそうである。フィドラー(ペリマンニ)の国であるから。

 イギリス、北欧、そして日本。この3国の音楽性については私は近いものを感じている。歴史的背景にも理由がある。そして国土を囲む海の存在。フィンランドは大陸と接してはいるが、北欧全体文化的な意識として島国であるという共通点。様々な要因で音楽作品の中に同じ香りをみつけることが多い。

 このような経緯で北欧作品へとたどり着くのであるが、それではなぜそこにこだわるか。又次の機会にまとめてみたい。
(つづく)

2002年10月12日
 

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