ダークサイド

スターウォーズはすべて映画館で見ている。いろいろな思い出がよみがえる・・・すべて違う人と見に行っている(笑)・・・・そんな思い出話をしたいのではない。暗黒面、ダークサイドのお話・・・・映画を初めて見た中学3年生の時からずっと心にひっかかっていたこの言葉・・・。

 そう、誰でも心の中に暗黒面を持っている。天使のような人も世の中にはいるけれど、思うにその人は自分のダークサイドを克服したジェダイの騎士の一員なのだ。若くしてそれを獲得する人もいれば、散々ダークサイドで泥にまみれて人を傷つけ自分も傷つきすったもんだした挙句フォースの力を獲得して(悟って)、ジェダイの騎士として復活する中年もいる。中身はダースベーダーなのに、外面だけはジェダイの騎士よろしく格好よいことを見せている人もいる。そういう人は一生その仮の姿で過ごすのだろう。本当に怖いのは暗黒面の皇帝。あれは救いようがない。ダークサイドのさらにブラックホールといえる。少なくても映画の中からはそう感じる。最終話を見ないと結論は出せないが・・・

 ここ数年の若年層の犯罪・事件は、本当に一部の特殊なケースを除いて、すべて自分のダークサイドに負けているだけのことだと思う。あのような衝動や暴力への想いや人を傷つけてしまうことは、潜在的には誰でも持っている。人間成長していく過程で、意識の中でいわゆる親殺し、ということは通過している。それをしないと本当の大人にはなれない。それを行っていない人が、現実社会で自分の手で実行してしまう・・・。

 現実にやるかやらないか・・・自分で止められるか否か・・・それだけの話だ。特殊なケースとして腫れ物に触るように彼らを扱うことを続けると、彼ら自身昇華の方法がわからなくなる。手段がなくなる。特殊な状況に自分がいることをかえって安息に思ってしまう。本当に現実と立ち向かうことを辞めてしまう。そうしなくても生きていけてしまう特殊な社会が現在は存在している。ネットという仮想社会の中で。しかし本当はどうしようもない孤独と立腹とを受け止めてくれる何かがほしいだけだ。

 最近街中の若い世代を見ていて思うことは、本当に繊細な人が多い。一言一言への過敏な反応、一方通行の会話。思い込みだけで自己解決させてしまう言動。すべて現実逃避の一種だと思う。街中での周囲の人を無視した行動原理はその一面だと思う。とても人を怖がっている。怖いから自分はその中に属してないよ、別世界にいるよ、という態度を見せる。自分の視線に入らなかったら・・・気付かないということと同じ。周りからも見えていないと感じている。聞こえなかったら、聞かなかったら知らないということと同じ。そのほうが楽。そのほうがストレスがたまらない・・・・耳の中にはイヤホーン・・・・そんな街中の風景。

 同級生なのにタメ口を使うことさえはばかるような雰囲気。ちょっとでも違うタイプであることをお互いに受け止められない弱さ。すでにできている社会的な輪の中に飛び込めないで、すくんでしまっている状態・・・これがいわゆる「ニート」とか言われているものなのだろう。それに対して多くの専門家が日々解決策や問題点を指摘している。自分も決して強くはないので、今の若者の心の状態は親近感を持ってよくわかる。だからあえて言いたい・・・それじゃダメだよ!と。

 「ニート」のカテゴリーに入る人も、予備軍も、自意識がとても強いと思う。「自分が」がまず第一になる。「自分さがし」なるものが流行ったが、私はあんなものアホらしい・・・と思っている口だ。目の前にあることで、「自分にできること」を探すのが人間のやることでは・・・と思う。「自分」なんてあるものではなく、作っていくものだ。だから人生がある。作る楽しみがある。その期間は長い人もいれば短く終わる人もいる。それは天命。

 しかし自分作りは実はパワーがないとできないこと。自分にもダークサイド時期、グレーサイド時期、無色透明時期などいろいろな状態のことがあったので「ニート」なる人の状態も感じることはできる。推察することはできる。

 何でも良いのだ。実感して生きてきていれば。生物として感覚を磨くことでパワーは生まれる。情報を知ること理解することで渡ってきた現代の子供たちは、感じていない。「了解しました」というロボットの応答と同じ状態だ。体験していない。いささか古い話で恐縮だが、その昔、自分の友達は人間だけではなかった。蟻、蝶、野良犬、野良猫、動物の骨、キノコ(時々毒キノコ)蜘蛛の巣、蝉、クワガタ、カブトムシ、トンボ、羊、牛、さくらんぼの木、洞窟、電信柱(名前もつけた)田んぼに畑、(溝に落ちた)農家の納屋の草、そして冬の宝石・・雪。こんな贅沢な幼少を送ることができた自分は、それだけで人生に感謝であるしそういう環境においてくれた両親にも大感謝である。

 これらの有機質無機質の友達と日々過ごしていれば、人間の抱える悩みなんかいかに小さいものか、幼いながらに感じてきた。セキセイインコを代々飼育していた我が家では、多いときには10羽をこえて飼っていた。そのどのインコもそれぞれに性格が違っていて、自分にとって良い相談相手だった。小さな命の炎が目の前で消えていくことも度々出会ってきた。あの辛い想いも今考えるととても大事なことを教えてもらってきた。誰かを傷つけたくなったときは、誰もいない草むらに飛び込む。ススキ野原を渡り歩くうちに「黒い」心はなくなる。真っ白い雪野原に寝転ぶと、星がそこにいる。きっと誰かが上から見ていると思っていたあの頃、、みっともない情けない自分は空に吐き出した。とにかく喧嘩っ早くて、暴れまくっていた日々。雪がその醜い心を吸い取ってくれたこともあった。

 草むらで遊べば足は切るし、いつのまにか被れてもいた。でも数日すれば消える。体内の隠れた力で治している。砂利道は痛くて、土での遊びが幸せな時間だった。綺麗な花は時々食用にもなって、のどが渇けば蜜も吸う。ふきのとうは苦いけど、ヨモギはお饅頭になるので嬉しい。雪も当時はおいしかったし、ツララはお風呂場で活躍した。雪の上で転んでも痛くないが、氷は痛い。土の固さも目で見てわかるくらい日々転んでいた。がけをよじ登って忍者の真似もした。ジャンプ台を作り、自転車で舞った。当時の親たちはそんな傷だらけの子供たちを叱りはしたが、ダメとは言わなかった。「気をつけろ」とは言うが「遊ぶな」とは言わなかった。なぜこのわずかの年数の中で(30年は経過しているとはいえ(^^ゞ)こんなに世の中が変わってしまわなくてはいけなかったのか
・・・・・・・

 ついつい回想が長くなってしまったが・・・要するにダークサイドに落ちないためには、また落ちても這い上がれるためには、自分の生まれてきた役割を実感できているかどうか・・・であると思う。生きていることそのものへの実感を持ち続けていることだと思う。なんでも良い、やることを見つける。何でも良い、自分の手で行っていることに対して、大人たちはとことん誉める、叱る、でも教えない。自分で見つける時間を作ってあげる。子供が大人に敵わないのは自明のこと。そんなわかりきったことで、大人が偉そうにしていては子供は息が詰まる。偉そうにするのではなく、ちゃんと子供に対して偉いひとであるように大人は一生懸命生きていれば良いのだと思う。誇るものを持って背中を見せて歩いていれば良いと思う。時々振り返って。

 ダークサイドに落ちるのは簡単なことだ。社会からドロップアウトをしているわけではなくても、ダークサイド的な生き方をしている大人はたくさんいる。芸術の世界は言葉にはできないが、そういう精神の揺らぎを形を持って表現している。自分を映し出す鏡でもある。ダークサイドの人間が、ジェダイの魂に憧れるという姿が芸術の世界には多々ある。逆もあるが、その場合非常に借り物のような姿になって表現されているように思う。それはある意味補償としての音楽という捉え方であり、自分の中の不足分を補う形として求める音楽という考え方だ。ダークサイドを認めない人にはおそらく世の中の本質は感じ取れないのではないか。怖いこと、危ないこと、ダメなこと・・・それらが存在することは厳然としている。

 少々例えは違うが・・・グループの中から怠け者を排除すると、残りのメンバーの3割が新しい怠け者になるそうだ。すべてが清く正しく立派である、という社会は存在しない。ダークサイドは必ずある。ないとバランスは崩れる。どちらに所属するかは大人になる過程で自分で判断して責任もって決めれば良い。

 自分のダークサイドを認識することが本当は大切であり、それにはあらゆる体験が必要だと思う。ダークサイドに落ちろ!といっているのではないのでお間違えなきように・・・・

 あああ、こんな長い話を書くつもりはなかった。スコアが目の前で待っている・・・でも大人も子供も、日本も世界もあまりにアホなことで騒ぎ立てて本質から目をそらしていることばかりなのでいらいら・・。小さな自分であるが社会で生活して生きている身、音楽家であると同時に人間だ。考える葦・・・まではいかなくても考える雑草くらいにはなっていたい。

 国家間のトラブルは出るべくして出ていること。未来に向かって建設的な交渉を始めなくては、20世紀までの負の遺産の蒸し返しになる。つまらない意地は捨てるほうが賢明だ。もちろん言うべきことは言うべし。言った上で譲れることは先に譲って先に良い道を作って導いていくほうがよっぽど素敵な国家だと思うのだが・・・・この先我々が戦わなくてはいけないことは、人間そのもの、地球そのもの、宇宙的規模の話だと思う。そのことへの意識を向ける国家に日本はなれないのだろうか・・

間違えなく愚かな人間の行いで、地球は壊れ始めている。

それにも関わらず狭い範囲の利益で話を進める大国がいる。アホだ!

これまで我慢してきた国家が堪忍袋の緒が切れている状態。

先進国の欲によってめちゃくちゃになっている国家があるという状況を認識していない。

これから発展していきたい国に、我慢してね、地球を壊さずにやってね・・なんて言うだけでは説得力なし。

今こそ日本の科学技術が活躍できるとき。世界的に使える代替エネルギー開発を急ぐのだ!

戦わずして国家間のトラブルを回避する方法を日本は自立した上でみつけるのだ!

消費に頼る国家発展は終わりの時期。

人口過密ストレスによる人間崩壊が始まっているのだから、少子化、人口減少でも国家が成立する方法を見つけるほうが良い。

現在の価値観で国家を発展させていけば、22世紀は子孫は生きていけなくなるということを教科書に書こう(笑)

知的生物として宇宙からの使命が地球に降ってきた!と思えば、なんだか楽しく問題解決に地球上が一丸となって取り組めるのではないでしょうか?私の頭脳ではこんなことしか思いつきませんが。地球上の問題人物は、地球外から送り込まれた異星人なのかもしれない。大国のあのひと、隣国のあの人・・・この国のあの人などなど・・ドンパチを地球に起こさせて地球人を絶やそうと狙っているのか?ミッション!地球を救え!

でもこれって・・・先日のWALDEN~森の生活の中にも書いてあったことなのです。ソローの哲学書。150年も前の書物。アメリカが当時抱え始めていた問題を森の生活を通して鋭く描いている書物。

21世紀の半分まで生きられるかどうかわかりませんが・・・どうか22世紀も地球が生きていますように。

おしまい。<(_ _)>

2005年6月14日

 

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