シベリウス音楽祭

2000年9月から始まったシベリウス音楽祭。今年で3回目を迎えた。第1回は全交響曲とヴァイオリン協奏曲。第2回が交響詩とオーケストラ伴奏の歌曲。今年は再び全交響曲とヴァイオリン協奏曲。来年は声楽作品を主軸においている。すべてオスモ ヴァンスカ指揮 ラハティ交響楽団の演奏。そして今年のヴァイオリンソロはジョシュア ベル氏。このオーケストラはもちろん全交響曲を録音している(BIS)。そして来日公演でも取上げ、十分に団のレパートリーになっている。しかし今年は諸事情で大事なセクションのメンバー複数がエキストラであったため、リハーサルの密度がこれまでと異なって濃いものになっていた。ヴァンスカ氏のアプローチは独特である。そのテンポ感、求める音色、イントネーションの作り方など徹底させるわけだが、慣れていないメンバーにとっては恐らく目を丸くしながらの演奏であったと思う。

 9月13日に特別のリハーサルを設け、1.6.7番を練習。翌週16日から三日間通常リハーサル10時から14時の範囲で2~3曲ずつ練習していく。今年はアンコールに世界初演の作品を用意していた。これはヘルシンキ大学から楽譜をおこしてはじめての演奏、という貴重なものであった。1914年作の作品、組曲から2曲。3番目は既に世に出ているThe Oceanidesということである。これもいずれ出版されるのであろうか。クラリネットとハープが活躍する軽妙な小品であった。これまでのプログラムなど詳細は北欧紹介のページで後日すべて掲載したいと思っている。

 演奏会は9月19日(木)に交響曲第3番 ヴァイオリン協奏曲 交響曲第4番。ベル氏の音の美しさとテクニックの完璧さは誰もが驚嘆した。しかし彼の軽妙なアプローチとフィンランドの音が最終的に距離感を作ったのも事実だった。聴衆の反応も見事に分かれた。フィンランド人は「我々の音楽とは少し違う、素晴らしい演奏だったが」といい、海外からの聴衆は「エクセレント!」このような言葉がロビーで繰り広げられた。この日の4番の集中力とこの作品の一貫したドラマが見事に描かれていたのは忘れられない。

  翌20日(木)は若い頃の作品、フィンランディア 交響曲第1番、2番というもの。オーケストラの体力も必要とする選曲。実は今回クラリネットの首席がエキストラで若い女性奏者。彼女はフィンランドで有名な奏者であり、実力も実績もすでに備えている。3人の子供の母親でもある。この交響曲第1番の冒頭のソロは優美で女性的なラインを描いた見事なものだった。ラハティ響のメンバーに良く質問されたことに、「貴方はどの交響曲が好きか?」というものがあった。2年前までは私にとって第1番がベストであった。しかしあれから2年。現在は第6番と迷わず言えよう。彼等が良く話していたのは「我々フィンランド人にとって、1番2番は自分の国の作品とあまり感じない。4番6番そして7番がシベリウスだよ!」何度聴いた台詞か・・。この日冒頭に演奏されたフィンランディアはアンコールでも再度取上げられた。より高揚した崇高な響きを持って。

 三日目、21日(土)この日はMTV3というテレビ局の生放送も兼ねていた。リハーサルはカメラリハも行う。ヴァンスカ氏もオーケストラのメンバーもホールの照明や空調が出す音には大変に気を使う。この音楽祭の間、ホールステージの上方メインのライトは消した。そして音のしないライトのみを選択して照明としていた。よってかなり薄暗いと見えた人もいたことであろう。テレビカメラ泣かせであるといつも思う。プログラムは第6番 第7番 第5番。初めの6番はセレモニーなどの直後であったため集中力を欠いた出だしで残念であった。しかし7番5番と見事な集中力でシベリウスホールは満場の拍手となったのである。この日はステージ横の席を取っていたため楽員の様子が良く見えた。当然疲労の色も見えていたが大事な作品を最後まで魂を込めて演奏する姿には胸を打たれた。ヴァンスカ氏も各国からのお客様の接待も含め多忙な1週間であったようだが、エネルギッシュなアプローチは全く変わることなかった。オリジナル版との差やヴァンスカ氏のスコア解釈をお話する時間もとって頂けて感謝の日々だった。最後は「Kiitos」でお別れした。この国は演奏後団員同士、また楽屋を訪ねた客は演奏者に「Kiitos(ありがとう)」と声をかける。

 ちなみにこの秋のシーズンからラハティ響は正装として女性団員だけ特別なドレスを新調した。これはコンサートマスター イュルキ ラソンパロ氏の奥さんのデザインによるものである。彼女はデザイナーとしてフィンランド各地の劇場で衣装デザインも手がけている。オレンジ、ワインカラー、ブラウン、パープルの色を使い、メンバーの顔を見、相談しながら彼女が色選びとデザインをそれぞれに考えたようだ。来年日本でもお目にかかれるであろうか。

2002年10月9日
 

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