指揮者の仕事

いきなり、本題に入るが、指揮者の仕事ほど外から不明瞭なものはないと思う。
音を出さない音楽家、その視点から見れば パフォーマンスが重視され何かしら視覚に訴える表現のクリアーさ、が大切のように思われよう。しかし、である。それ―指揮―は本来ボディランゲージのメッセージとしての域を出ないものであるのが本質だ。作品の雰囲気や香は演奏者と一体となって自ずと聞こえてくる。結果としてコンサートのステージで見えることは 実にその裏に様々なことを内包している。当事者としてはそれを今暴露するわけにはいかないが、思うに優れた指揮者ほどその存在が演奏中ステージから消えていると感じることが多い。席を立てぬほどの名演に接したとき、目の前に広がっていたのは 己の聞いているという意識の中にダイレクトに音楽が持つ時空を越えた世界が描かれている。音楽それ自体に奉仕することを使命とする指揮者としては、自分は単なる導き手としてしか存在しえないのである。

 指揮者を必要とする演奏媒体というのは、複数のメンバーからなるアンサンブルである。複数の異なる感性を持つ音楽家から音をつむぎだす。そしてそれは作曲家という 宇宙の声と交信できる才能を持った人種がこの世に書き下ろした音を使った言葉、<音楽作品>を間に挟んで ともにその解読に励むわけである。この非常に職人的な作業を成し遂げるのには、当然感性や才能も必要だが、やはり相当の経験年数と人間的修行が必要である。50歳にしても尚、指揮者としては若造だと言われてしまう所以である。そしてこの若造は、日々スコアを前にし、言葉を学び、文化を知り、作曲家とその背景にある世界をより深く知ろうと努力をしているわけである。そしてそれを楽員とともに紐解いてゆくリハーサルを積む。両者の問答の時間である。この時間をきちんと使えるように若手指揮者は現場で鍛えられてゆく。決して一方的なメッセージであってはならない指揮という行為、受け取る側にも感性がある。指揮が暴力となってはいけない。複雑で繊細な音の会話をリハーサルで積み上げ、本番のステージにつなげるのである。最終目標、音楽それ自体が存在するだけの空間に向かって。

 1999年秋、東京でシベリウスチクルスの衝撃的な演奏を成し遂げた ラハティ交響楽団とオスモ・ヴァンスカ氏のコンビ。私はこの翌年から文化庁研修の1年間、そしてその後もこのコンビの仕事を傍で拝見する機会を得ている。(ヴァンスカ氏も今年49歳、まだ若造と言われてしまう年代なのだが・・。)自分もこのオーケストラを前にして演奏会、リハーサルと経験してきた。その中で感じたことは、このコンビ―すでに15年ほどの歴史をもつ―が、まさにお互いを良く知った素晴らしい夫婦のような関係であるということだ。思考回路はお見通し、癖も、精神状態も何もかも朝、顔を合わせるだけで了解なのである。

 「Huomenta!(おはよう)」で午前10時にタクトが下りる。どのような作品を前にしてもいつも全力投球のラハティ響とヴァンスカ氏、集中力と忍耐と良いものを追求する粘り強さ、それらが軋む音がいつも聞こえていた。そして結果である演奏会では打率10割に近い結果を引き出す。ヴァンスカ氏の解釈には作品によってかなりはっきりした特長があり、好き嫌いの観点で評をならべると恐らく真っ二つに分離することもあったであろう。しかし、いつも確固たる主張があり、作品へのあくなき追求という言葉がそのまま演奏会の現場で、新しいシベリウスホール(Sibeliustalo)で見えていたのである。やや力の入った指揮ぶり、無骨でひたすら楽譜に忠実にというまっすぐな思いのヴァンスカ氏のタクト。恐らく長い共同作業の中、その姿勢は全く変わらなかったと思われる。このコンビにどんなに名の知れたマエストロが入っても決して結果は名声分 勝っていたわけではなかった。ラハティ響の現場に限って言えば、どんなに華麗で美しい指揮や演奏、又サービスに充ちた言葉があっても指揮者や共演ソリストへの評価は厳しいものだった。彼等は余計なパフォーマンスは嫌いであるらしい。

2002年9月17日 

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