3回目のフィンランドの秋を終えて

8月27日からフィンランド、ラハティに来ている。研修の準備に訪れた2000年秋から3度目の同じ季節を数える。今年の夏も昨年に続き 長く、又太陽の恵みの多かった夏だったーと楽員の日焼けした顔から笑顔の思い出話をたくさんもらった。ラハティ響の夏休みは6月半ばから8月半ばまで。フィンランド国内に増えている夏の音楽祭への参加組や海外出張組以外は、ゆっくりと夏のコテージでサウナとビールとボートの日々を過ごしてきている。

 中欧の洪水の被害は深刻であるようだ。局地的な気象条件によるものなのか、長い目で見た人間の営みが引き起こす人災なのか。いずれにしても、確実に気候が変わってきていると感じる。

 ここ北欧に到着した27日は実に蒸し暑く感じたが、今9月に入ったらすでに20度以下。冬への階段をまっしぐらに駆け下りている。

2002年9月3日 ラハティにて 

 フィンランドでの1年は季節ごとに自然の素敵なドラマがあった。今年1月の<アンサンブルフランニューイヤーコンサート>プログラムに寄せた文章を団のご好意でここに転記させていただく。


「サンタクロースの出張」

 2001年10月4日、350日間の文化庁在外研修を終え、帰国した。予想通りの蒸し暑さと雑踏の騒音、町並みの雑多な配色に圧倒された。昨年10月20日に渡ったフィンランドのラハティ市はヘルシンキから北へおよそ100キロ。ヴェシヤルヴィという大きな湖を持つ人口は9万人規模の都市。その湖のほとりにラハティ交響楽団の本拠地、シベリウスホールはあった。2000年3月にオープン、まだ内装も一部工事中の姿だった。

 丁度今ごろは(11月末)フィンランドは白一色の世界になろうとしている。そんな中、赤い衣装のサンタクロースは子供達の笑顔を思い浮かべながら支度に忙しい頃であろう。11月も半ばを過ぎるとフィンランドでもクリスマスのイルミネーションなどがお目見えする。毎年恒例、特に派手なものはなく、街全体が静かにクリスマスを待つ雰囲気。家々にも優しい暖かな明かりが窓辺に灯る。しかし街中にサンタクロースはいない。デパートの入り口に立っていることもない。ケーキも売っていない。クリスマスソングもほとんど聞こえない。2000年の12月にフィンランドのテレビでサンタクロースが東京に着いたというニュースが流れた。そう、出張中であった。そしてイヴの24日、楽員の友人宅で共に過ごさせていただいた。両親と子供達とともにくつろいでいた中、突然現れた雪まみれのサンタクロース。フィンランドにご帰還である。プレゼントのたくさん入った籠を持って子供達の前にゆったりと現れた。大きな深い声で子供達に1年間どうすごしたか尋ね、自分の紹介を始めた。母親が子供達とともに、歌を歌い、サンタクロースの労をねぎらった。

 メインストリートに出ると驚くほど人がいない。もちろん商店はすべて閉まっている。静かな夜に見事に雪が華を添えていた。皆家庭で親しい人と共にこの日を静かに迎えているのだ。

  ロヴァニエミという北極圏の入り口の街にサンタクロース村がある。2月にそこを訪れたが 柔らかい笑顔のサンタクロースが客人の応対をしていた。外ではトナカイたちが客人を乗せていた。いつでもクリスマス!の町である。長く厳しい冬、マイナス22度の中での引越しも経験。移動させた植木鉢の小さな命が凍ってしまった。 春は突然やってくる。4月末、「本日渡れます、今日は危ない!」などの標識が立っている湖の氷も溶け、いっせいに春の色に変わる。5月末、「夏の月」という名前の6月に向け見事に夏が駆け足でやってきた。濃淡様様な緑の絨毯に、黄色、白、紫の草花が模様をつけてゆく。夏至を過ぎると早くも長き冬を憂いて顔が曇ってくる。夏至には湖上のボートから真夜中の太陽を見ることができた。静かにその沈む道筋を追っている視線が湖上に多くあった。2001年の夏は猛暑であった。8月半ばでも珍しく太陽の恵みがあった。人々のヴァカンスは延長され、演奏会への足は遠のく。これも文化である。何より太陽なのである。サンタクロースも日光浴をするのであろうか。9月に入るとあの白夜の日々が嘘のように太陽が遠のく。帰国直前は夕方がいつのまにか戻っていた。そして又今雪の季節を迎えている。フィンランドの乳幼児は冬でも必ず外でお昼寝をする。もちろん完全防寒で。少しでも太陽の恵みを得るため、そして厳しい自然をその体内に刻み付けるためであろうか。

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