広島への原爆投下から63年。今年も厳しい日差しが朝の式典に突き刺さっていたようです。一貫して「核廃絶」を言い続けることの大変さを行政にいる人は一番知っていると思います。しかし貫かなくてはいけないと、これだけは強く思います。
今日も原爆や被爆者の後遺症に関する番組がいくつか流れていました。科学者というものは、創造することには想像が働く割に、後始末や検証というほうには、その想像力が鈍ることもあるのか・・・と感じた次第。可能性を考えることには、想像力と深い愛情が必要。また都合というもので想像力が鈍ることも大いにあるということを再認識。それが今の世界の現実であり、そこと戦っていかなくてはいけないのは、どの分野でも同じなのだなと感じます。
63年です。まだ。もっとはるか以前に生まれた作品たちと日々接して、それを生んだ作曲者を通して時代や世界を見ている自分としては、この近い過去のことをもっと心に強く刻むことを忘れてはいけない。戦いの歴史の中に人が生み出したものはたくさんある。芸術でさえその産物も。その背景を・・・おろそかに考えてはいけない。作品は独立したものであるとしても、音楽芸術はしっかりと社会と結びついたものです。そこで生きた作曲者たちの命の言葉。
コメント
コメント一覧 (2件)
團伊玖磨作曲交響曲第6番「HIROSHIMA」。この曲は廃墟から立ち上がった広島の人々への讃歌であり、人類の栄光を力強く歌い上げた素晴らしい交響曲です。機会があったらぜひ演奏してください。
>KIMURAさん
コメントありがとうございました。対応が遅くなり失礼しました。作品のご紹介ありがとうございます。邦人作品も大事に演奏していきたいと思って取り組んでいます。この曲のこともリサーチしてみます。