本日も関東はお天気がご機嫌斜めであります。
明日から六月、
いやでも梅雨の足音は聞こえてきます。
もうすでに・・・・
そんな中、この曲のリハーサルにでかけます。
嵐とは直接の関係はありませんが、
十分に魂の嵐の描写も含む作品です。
今回は1998年の新版を使っています。
この但し書きが入っています。
この作品の楽章順番については長い議論と、
「お墨付き」の資料やもろもろ語られています。
どちらを採用するか・・・・は
7月13日のお楽しみとさせていただくとしまして・・・・・(汗)
マーラー自身が作曲者であり指揮者であった。
双方の仕事において卓越した才能の持ち主であったことが、この問題の解釈を難しくしていると私は思っています。
一般には作った人が指揮をするのが一番良いでしょ~と思われますが、
現実問題必ずしもそういうわけでもなく。
両方において素晴らしい仕事をされている方は国内にも世界にも現代もいます。
それは私は特別な才能であると思います。
指揮という行為、これは「人様に音を出していただく」という仕事であること。
「考えているとおりに」音が出ている保障はそうそうありません。
「やっているつもり」で、そうなっていないことは多々・・・
それがテンポのことからニュアンスのことから・・・・
とにかく客観的な判断力がとても必要な指揮者という仕事。
その部分と、主観的である作曲者としての感覚が一緒であることは難しい・・・・・・
ということを作曲家の方から伺ったことがあります。
あまり書くと来週の原稿のネタ切れになりそうなので・・・
こちらの本、このところずっと読んでいるのですが
(まだ読破していません)
自分の指揮者としての音楽的時間体験を
実に明確な言葉で説明されているな・・・・と思っています。
「内なる理想の時間」「現実の目の前の現象の時間」「現実的な理想の時間」
漠然とした表現ですが、自分が演奏するときはこの3つの軸をもって指揮台にたっています。
ですのでオペラを振るときは、それに更に空間への意識が加わるため、もっと複雑な事態になります。
作曲家であり指揮者であったマーラーの複雑な内側は凡人の私には推し量れませんが、
とにかくこの人物は気軽にお付き合いできる人物ではないものの、
魅力あふれる方であるということだけは確かです。
ほぼ15年ぶり・・・に手がけますが、
マーラーの交響曲第6番は自分の毎日を悩ませてくれます。
本日はどうなるでしょうか・・・・皆様良い週末を!
おっと・・・雨脚が強まった・・・・(泣)
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