10月22日月曜日午前9時50分、父 新田実が急性心筋梗塞で他界いたしました。享年76歳でした。
24日の通夜、25日の告別式には多くの皆様ご会葬賜りまして本当にありがとうございました。
音楽葬として花に囲まれた葬儀を無事に済ませることができました。
皆様からの暖かなお心に心よりお礼申し上げます。
音楽を通して御縁を戴いている皆様とともに父を送ることができましたこと、そして父も耳にしていた音楽を静かに聴いて貰うことができたこと、静かな時間を共に過ごしていただいた皆様へも厚く御礼申し上げます。
ロシア語を通じてお世話になっておりました大学関係、出版関係、放送関係の皆様には、父と永く暖かなおつきあいを戴きましたこと、心よりお礼申し上げます。自宅にも多くの先生がお見えになり、ロシアからのお客様とともに父が楽しく語らっていた姿が忘れられません。
また多くの父の教え子の皆様もよく訪ねて下さり、父もうれしそうにしておりました。その教え子の皆さんが社会で活躍されて、そして思わぬところで私自身とも御縁を戴くことになることもあり、巡り会いの大きな力を感じております。
父自身は民謡や演歌が好きな人でした。もちろんロシア民謡も。私も意味は分からずとも子供の頃から怪しげなロシア語でまねをしていました。私のコンサートにも近年はよく通ってくれるようになり、率直な批評を伝えてくれたものです。
9月24日のコンサートをとても喜んでくれていました。ソリストの佐藤まどかさんの演奏にも非常に感銘を受けていたようで、ブラヴォーを珍しく叫んでいたと母から聞きました。その佐藤まどかさんには昨日バッハを演奏していただくことが叶い、心よりお礼申し上げます。父もきっと喜んでいることと思います。
あのコンサートの最後の曲目「タピオラ」は、私は人間の魂が自然界を通って宇宙へ届く姿を感じています。演奏していても一つの人生が終わりを告げる感覚を味わい、演奏のたびに永遠の時の流れを感じるものです。悲しくもそのコンサートが父が聴いてくれた最後の演奏会となってしまいました。
父は年末の東京新聞フォーラムを非常に楽しみにしておりました。同じ言語学者として、講演をいただく小泉保先生との御縁も喜んでくれましたし、クッレルヴォの音楽もきっと父の好きな日本の時代劇の音楽と重なる響きを感じていたのだと思います。
32年前私が中学生の時に一度心筋梗塞で倒れております。その時は回復も早く、母の栄養指導もあり健康を取り戻し元気に仕事に復帰しました。あれから32年。ここ半年ほど非常に疲れた様子が見えるようになっていましたので、私も心の内に不安が募っていました。持病の治療もあわせて、両親ともに健康には気をつける日々を送っておりました。しかし突然の発作に無念の最期となってしまいました。
急なことでしたので、お知らせも行き届かないところもあり、また葬儀の折も何かと失礼なこともあったことと思います。お許し下さい。
私にとっては10月15日に実家を後にした時の玄関先で見送ってくれた父の姿が最期でした。その後誕生日にはメールを送ってくれて、「この前は誕生日らしいことができずに悪かったね・・・」とメッセージをもらったところでした。最近のメールの署名は現在の実家の住所をもじって「青葉の森の隠居虫」。いつでも優しく迎えてくれた父の姿を思うと、訪ねてもなかなかゆっくり語らう時間を取れなかった自分を悔いております。
これからは母を支え歩んで参ります。父と御縁を戴いたたくさんの皆様にお礼を申し上げると同時に、未熟な私に変わらぬご指導をどうぞお願いいたします。
父には先に、天国の妹とゆっくり話をしていてもらいましょう。しばらくの間、静かな時を過ごし休んでもらいたいと思います。
ありがとうございました。
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