冬の散歩

関東は気温が高いためか、陽だまりが嬉しい・・・という気持ちにはまだならない今日この頃。新聞連載があるために、こちらのサイトのエッセイがとんとご無沙汰状態になってしまった。その連載も今月22日が最終となる。われながら良く書きました!と思う。中身のことではなく、25回も書き続けられたことに結構驚いている。もう最終稿は送ってしまったので、これからはエッセイのほうへ復帰することにする。

 冬の散歩で出会うものは、足が速い。木枯らしの中の枯葉だったり、家路を急ぐ子供たちだったり、猫たちも気温が低いと足早に目の前を横切っていく。太陽も駆け足でおちてゆく。一歩家に戻ると、まったりとした暖かな空気に触れること、家族が待っていること、北国では真っ赤に色づく暖房器具が待っていること・・・そんなことが冬の喜びの一つかもしれない。そういう風景を持っている人が都会生活ではどんどん減っている。もちろん私も今は家族と離れているので前述の風景は思い出の中だ。せめて子供時代はできるだけそういう家族の風景を味わう子供が増えてほしい。それが成長の栄養剤になると思う。

 今日もとんでもなく悲しい事件がいろいろと報道されている。「人のお金を代わりに使うことは世の中のためだ!」どこかの酔っ払いが言いそうな台詞をよくも若者が言い放てるものだ。「振り込め詐欺」という名前の変な犯罪が大手を振って今年は歩いていた。お金を稼げること、お金を動かせることが世の中に価値のあることのように日本は認め続けてきた。若年層が自分を売り買いさせてお金を得てゆくことも、ほとんど暗黙の了解になっている。大人がそういうシステムを作っている以上誰も文句は言えないであろう。そうして得たお金で「ブランド」というモノを得意げに持って闊歩する。

 紙面に面白いことが載っていた。「パリ症候群」ご存知だろうか。初めて見た銘銘だったが、読んでみてなるほどと思った。憧れのパリに行ったは良いが、生活力も語学力もなく精神を病んでいく。パリではブランド物を引っさげて歩く、こ洒落た女性がたくさんいるものと思っていた、その一員のように混ぜてもらえるかもしれない・・そんな気持ちで渡欧したのだという。海外在住を目指そうという意識の人がこういう認識でいられる国なのだ、日本は。未成年者はもちろん、若年層がブランド物などひっさげて闊歩しようものなら、「怪しげなことをしてお金を稼いでいる人ね」と見られるのが欧米では常識だ。なぜこんな高価なものを若い世代が持てるのか、今もって私は不思議で仕方がない。貧乏性の自分には「ブランド」との付き合い方はわからない。ごくごくたまに「ブランド」の店頭を覗くときにも、腰が引けているのを感じる。情けないが苦手なものは仕方がない。

 年末は事件が続出するのが毎年のことだが、今年の事件は普通ではない。2004年は特に変な事件が多かった。2005年はおそらく国際的に大きな動きが始まるだろう。覚悟の年だと思っている。新聞連載ももう少し楽しい音楽の話を書きたかったのが本音。しかし書けなかった。音楽家が社会から隔離されてはいけないと思う。魂を持つ動物-人間にとって音楽芸術は逃げ込む場所ではなく、社会へ向かっていくエネルギー補充基地となりたい。特別保護区であってもいけない。特権階級でもない。たまたま楽才というものを得て、それに従事できているだけだ。学問の才能、運動の才能、思いやる才能、考える才能、楽しませる才能、正確に造る才能、記録する才能・・・人の存在それぞれに才能が眠っている。楽才をまだまだ自分は磨かねばならない。磨くことをやめたくなったら潔く身をひきたい。自分の取り組みを、誰かがそれを認めてくださったとき、誰かの役に立てたとき、誰かが楽しんでくださったとき、感謝して美味しいものを食べに行こう。そんな日常を送れる2005年がくれば良い。多くの人が普通の日常を送れる年がくれば良い。危険信号点灯の日本。

2004年12月15日
 

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