7月5日は関係者勢ぞろいという日となった。東京新聞紙面などでも書かせて頂いたが、もともとのこの招聘企画はハルヤンネ氏からの邦人作曲家への委嘱依頼がきっかけだ。ハルヤンネ氏が教鞭をとるシベリウスアカデミーには、現在二人の日本人がハルヤンネ氏のもとで勉強している。其のうちの一人は国立音大の卒業生でもあり私も吹奏楽の授業で担当していたので知っている。その学生から、ハルヤンネ氏が作品をほしがっているという話を伝え聞いて、直接連絡を取ることとなった。
こちらから長生淳氏をご紹介し、その作品をいくつか聴いていただく。そして正式な委嘱依頼の返事があり、コンサート企画をあわせて打ち合わせしていく。もともとはハルヤンネ氏の新しいレコーディングのためということでのお話だったのだが、現在情勢が厳しく新曲の録音はそうそう簡単には行えない。ひとまずは演奏会企画として、そして何より日本の皆様にハルヤンネ氏の演奏を聞いていただく機会を作るということで話を進めた。タイミングよく私も時々客演の機会をいただく企業オーケストラでの演奏会が成立。そして音大での客演も実現。ソロコンサートやマスタークラスの日程も決まり2週間ほどの滞在スケジュールが決まった。招聘事業では日本交響楽協会に大変お世話になった。
およそ1年半ほどの期間を経ての実現だった。双方にスケジュールがある。作品の完成にも時間が必要だ。急いでも良いことはない。良いものはゆっくりと広まる、ゆっくりと知っていただくという考え方も関係者の中では一致していたと思う。それでもあっという間に今年の夏を迎えた。メールのやりとり、また私がフィンランドに滞在の時にはお目にかかっての打ち合わせなどを繰り返して詳細が決まっていった。ハルヤンネ氏は一貫して長生氏の作品に流れる感性を気に入っていらした。実際に作品のパート譜が届きフィンランドにお送りしてからは、演奏を心待ちにしているというメールが何度も届いた。
7月5日は都内の楽器店内ホールでのリハーサル。長生氏の作品のピアノ伴奏版が始めて音となる。ハルヤンネ氏、伴奏の丹生谷佳恵氏、長生氏はじめ関係者が揃う。ピアノ版と今回の滞在最後の演奏会となる吹奏楽版での楽譜は同じものではない。つまり単なるアレンジ作品として吹奏楽版が作られたのではない。ひとつの幹から枝葉が分かれるように、作品の細部が少しずつ異なるものとなっている。後には管弦楽版も生まれることとなっている。
吹奏楽版は国立音大のブラスオルケスターですでにリハーサルが始まっており、音を出している。私としてもこの二つの作品の違いは興味深いものだ。はじめのリハーサルは指揮をすることとなった。非常に緊密なアンサンブルを要求される作品なので、お互いの音を理解できるまではサポートがほしいというハルヤンネ氏の依頼だった。ピアノパートに書かれている音は、膨大な情報量。その中から浮かび上がる音楽は非常に繊細で時々ノスタルジックで魅力的なものだ。エネルギーに溢れ積極的なアプローチを試みる丹生谷さんは、その作品の魅力をリハーサルの中でどんどん醸し出していた。ちなみに彼女も国立音大の卒業生。金管楽器の伴奏を多く手がけていらっしゃる。
旅の疲れもどこへやらという様子で、ハルヤンネ氏の流麗な響きがリハーサルホールに流れる。企画の成功を確信した瞬間だ。長生氏からの要求もいろいろ加わり3時間のリハーサルはあっという間に過ぎた。
この後私はヴァンスカ氏のコンサートに出かけることとなる。
2004年8月9日