8月はスポーツの祭典一色となる。オリンピックはもちろん高校野球、そしてプロ野球も目が離せない。
得意なスポーツは球技。最も好きなものは野球。最近観戦もするようになったのだが、もっぱら子供の頃は自分でやっていた。右投げ左打ちで時々窓ガラスを割っていた。実は小学校と中学校の同級生にヤクルトの高野光投手がいた。残念ながら3年前に亡くなってしまい無念でならない。小学校6年生の2学期に転校した学校に高野君はいた。同じクラスだったが、私はすぐにお転婆の本領発揮で時々男の子のグループに混ぜてもらって草野球を楽しんでいた。あの高野選手と同じグランドで野球を楽しんだなんて、とても誇らしい。
中学になると甲子園熱がピークになった。なんとかして甲子園に出たい!と真剣に思っていたものだ。ピアノの練習が終わると外に飛び出して投球練習。少しもじっとしていなかった。 小学校と中学校では短距離走が得意だったので時々陸上の選手として地区の大会に出ていた。長距離はまったく駄目。瞬発力でしか生きていなかったのではないだろうか。
高校に入ると弓道を始めた。小笠原流の道場が校内にあった。旧制高校だから無理もないが本当に古い道場だった。弓道のユニフォームは袴だ。これが非常に心にすとんと落ちた。弓道は様々な型をまず仕込まれる。これがきちんとできないと道場へも入れさせてもらえない厳しさがある。神棚も祭ってある。礼に始まり礼に終わる。不思議に袴を履くと姿勢も良くなり気持ちもひきしまる。
弓は武器である。非常に危険なので初心者は絶対に一人では弓をひいてはいけない。型をマスターしてまっすぐに矢が飛ぶまで、的の前には立ってはいけない。そのプロセスも心の修行だったかもしれない。和弓は的を定めるのもすべて自分の目が勝負だ。照準を定める道具はない。手元の1ミリのずれは的の位置では隣の的に当たってしまうほどのずれになる。重心の取り方、呼吸法など安定してこないと、弓を引いてもまっすぐに狙ったところへ矢は飛ばない。視線の置き方も大いに影響する。自分をいかにコントロールするかを、わずかな期間だったが大いに弓道から学んだ。ぜひともこれは再開したいといつも願っている。今年こそ!と思っていたが春先の手術でまだもう少しスポーツ禁止の日々が続く。
最近は甲子園熱は少し冷めてしまった。甲子園だけではない。アマチュアのスポーツ全体への興味が昔ほど湧かない。理由は簡単。ちっともアマチュアらしくないからだ。オリンピックも本当はアマチュアのスポーツの祭典だったと思う。今はその影も形もない。歴史の中で近代オリンピックの性格が変わってきたためで仕方がないのかもしれない。大きなことを行うにはどうしても資金が必要だ。人の移動にもお金がかかる。自然とお金を中心に物事は進んでいく。いっそプロスポーツの祭典として、運動能力の競い合いを華々しく行ったほうが嘘が無くて良いのではと思うこともある。しかし、それではすぐに行き詰まるであろう。経済力のある国家が常に優位になってしまうからだ。本当にアマチュアの祭典であり続けるためには、オリンピック精神の原点を叫び続けなくてはいけないだろう。純粋に肉体の限界に挑戦する姿には感動する。無骨なまでにシンプルに戦うこと、それはある意味音楽界にもいえることかもしれない。
アテネオリンピックが無事に平和のうちに開催されることを今は心から祈るばかりだ。競技会場は完成したのだろうか。
2004年7月27日