2004年を迎えて

今年の元旦は実家で両親と迎えた。久しぶりのことである。天候にも恵まれ近所のお寺へお参り。これも珍しいこと。最近、祈ることを大事に感じるようになっている。年齢を重ねたのであろうか。二日には神社にも行き、お参りをした。いかにも日本人。祈る対象に節操がない。八百万の神々という考え方。日本古来の汎神論。私はこれが一番自分の心の持ちように近い。小さいころからなんとなく、ものすべてに何かが宿っているような畏れ。この気持ちは教えられることなくなんとなく持っていた。いや実際は祖母たちの世代の人から伝えられていたのかもしれない。

 今年をどのように過ごしていくか、いや生きていくか、大事な年になりそうな予感はある。今年の動きは小さいかもしれないが、今後への大きな展開のきっかけとなる年であろう。フィンランドから迎えて共演するアーチストとの企画も、今詳細を詰めている。非常に楽しみだ。2005年に20周年を迎える日本シベリウス協会の記念行事もこれから発表になることであろう。昨年末から協会理事の任を受け、これらの活動にも積極的にかかわることとなった。微力ながら良い活動になっていくように尽力したい。昨年再出発をした、アマチュアオーケストラの「アイノラ交響楽団」、こちらもいよいよ旗揚げ公演を迎える。自主企画のサロンコンサートも年内のプログラムが固まりつつある。こちらもまもなく詳細を発表できそうだ。

 地球の環境に関する番組を年頭に見た。もう自分の命など吹き飛んでいるころの地球の未来の想像を描いた番組。ごらんになった人もいらっしゃると思う。とっても愉快な気持ちになっていた。そう、確実に地球という生命体は終わりを迎えるのだ。そして人類というものも、その長い壮大な歴史の中のほんのひと時を生きているに過ぎない。生き残り未来の地球を見ることのできる生物たちがうらやましい。そしてそれを想像するのも楽しい。ただ、間違ってはいけない。終末論に支配されるのは危険だ。限りあるものだから、今を大事に生きる。人間の人生観でよく語られる文句であるが、これはそのまま地球という生命体にもあてはまる。大事に資源を利用して、大事に生命をつないでいくこと。この想いがもっともっと多くの人の心にあると、つまらない人間の争いと、欲にまみれた社会を早く救っていくことができそうな気がする。

 自然は本当にいろいろなことを教えてくれる。作曲家の心がわからなくなったとき、最近は自然界に答えを求めることが多い。古の創造者たちが何を想い、何を聴いていたのか・・このことへの想像力が必ずスコアを読み込む力を育てる。記号ではない生きた音、それが生まれるためにも。そして歩み方、生きる姿勢に雲がかかっているとき、まっすぐ伸びる木々の姿勢に力をもらうことも多い。大好きな鳥たちの交わす声に、迷いを解決してもらったこともある。決して北欧の作品に限ったことではない。ベートーヴェンしかり、モーツァルトしかり。作曲者の祈りが空に向かっている限り、今の時代のわれわれもきっとその声を聴くことはできるであろう。答えはすべて自然界にあり。

 2004年が人類の叡智を尽くして実りある年になることを祈りたい。権力に隠された飽くなき欲に惑わされないように。大きな力に流されないように。

2004年1月3日
 

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