ラハティ交響楽団2003年来日公演 その5

10月9日(木)いよいよ最終公演。素晴らしい天候。日中私はヘルシンキで勉強なさって帰国している駒ヶ嶺ゆかりさんと昼食をご一緒した。この方には年末のサロンコンサートに登場いただく。フィンランドに深く関わり、多くのレパートリーを持ちかえって活動されている。札幌でも11月初めの魔笛の公演に出演なさる。いろいろな話をした。音楽家として大事に思うことが同じである事を感じた。日本でどこまでその想いを大事にしながら活動が広げられるか。お互いに静かな戦いかもしれない。

 夕方5時からリハーサル。ホール内を写真で撮影するメンバーが多かった。目にも優しいホールだと指摘するメンバーが何人もいた。圧迫感が少なく、色使いも自然だと思う。
リハーサルはシンフォニーの第3楽章と第2楽章、そしてカレリア序曲の一部のみ。コンチェルトは全く音を出さなかった。リハーサルの後、ヴァンスカ氏に事務的なお願いをいくつか済ませ、ホテルに戻る。ホールを出るときに同じ建物の中にある札響の事務局の前でセカンドヴァイオリン首席で指揮者でもあるエサ・ヘイッキラ氏が足を止めてポスターに見入っているのに出くわした。どうも札響のTシャツを気に入ったらしい。事務局にご紹介をして早速購入。ホールロビーにある、札響グッズや音楽関係の小物を扱うショップにもメンバーが集まっていた。

 6時半前に会場に戻りロビーで待ち合わせの幸子さんを待つ。小学校のクラスメートも聴きにきていた、1年前自分の札響公演の時に知り合った人も駆けつけていた。ホームページを見ていますよ、と声をかけてくださる人も何人かいらした。嬉しい驚きだった。我々は1階席のほぼ中央。会場は6~7割の入りだろうか。いつもながらメンバーの登場とともに大きな拍手。最後の一人が着席するまでそれは続く。そして小走りにヤーッコ・クーシスト氏が登場してチューニング。ヴァンスカ氏の登場、コンサートは始まった。

 カレリア序曲は今までで最も集中していた演奏だと思った。サントリーホール同様空間の広いホールなので、初めのうち音が散ってしまうような印象も受けたが、次第に響きも落ち着きまとまって聴こえるようになってきた。そしてコンチェルト。この日のソリストは、明らかに今までと態度が違っていた。自分のスタイルとオーケストラ・指揮者のスタイルを戦わせて見る、という姿勢を示していたと思う。楽章ごとに指揮者にささやきかける仕草とそれに対する指揮者の反応。ソリストの自己主張だろうか。技量は十分にあるデイビット氏である。日本での4回目の演奏では余裕も見えた。ただシベリウス解釈においてどうしても異なるものを感じてしまう。作品を通してみているものは、彼の場合一体なんだったのだろう。技術が完璧でも音楽が聞こえてこないということはあるのだ。彼は移動のバスの中で五線紙に歌いながら何かを書き付けていた。作曲もするのだろうか。ホテルの部屋からあまり出ないということもメンバーからきいた。独特の世界を持つ人であることは感じる。まだ23歳。すでに世界的なキャリアは始まっている。今後どのような音楽の世界を歩むのだろうか。

 後半のシンフォニーはあらゆる部分がすべてうまく行った演奏だったと思う。集中力が素晴らしかった。研ぎ澄まされたラハティ響の魅力がすべて出せていたのではないだろうか。初日のサントリーホールで聴いた演奏よりも、一段鋭くなっている印象だった。このスタイルに異を唱える人もいる。もっとロマンティックで大らかなスタイルを好む人もいるだろう。往年のシベリウス2番の演奏はそのようなスタイルの方が多かったと思う。ヴァンスカ氏の師であるパーヴォ・ベルリィントとヴァンスカ氏が独自のシベリウス解釈を持っているのではないだろうか。

 アンコールは大サービスで、持ってきた4曲をすべて演奏した。「フィンランディア」「ミランダ」「ある情景への音楽」「悲しきワルツ」。オーケストラが引き上げた後も拍手は止まず指揮者が呼び出された。最後の公演で非常に嬉しい光景だったことと思う。ステージ裏では簡単な打ち上げ、スピーチなどが続き、市内に用意された打ち上げ会場にそれぞれ向かっていった。ヴァンスカ氏も満足だったと思う。又メンバーも病人も出ず皆元気でここまでこられた事も本当に良かった。

 私は昔の同級生達との語らいの後、メンバーと合流した。どうも打ち上げ会場にあまり長く居なかったようで、それぞれにお腹を満たしに街へ繰り出していたそうだ。親しいメンバーと、この来日公演の思い出を語り合った。いろいろ面白い話もきけた。札幌では回転寿司に何度も通ったメンバーもいた。一つの寿司屋にフィンランド人だけという状況になったこともあったらしい。3食と別に1日に3度も通ったメンバーがいたらしい。その人はオーケストラの中で最も痩せている女性なのだが。名前は伏せておこう・・・(笑)

 翌日朝は9時過ぎの出発。私はここで別行動となるため見送りにロビーに下りた。事務局長の補佐をしていたリトヴァ・フリスク女史が最後の点呼を取っている。「こんなこといつもやらないのよ・・・」とぶつぶつおっしゃっていたが。この日はコントラバスの紅一点アンナ・リンタ=ラハコ女史がお誕生日。メンバーからのお祝いのケーキを持っていた。皆少し眠そうにバスに乗り込んで行く。それはそうだろう・・昨夜はかなり遅くまでホテルは賑やかだった。アンサンブル・イリスのコンサートマスターを務めてくれたペトリ・カスケラ氏が昨夜のレセプションの様子を面白く伝えてくれた。「皆店から早く出て行ってしまって、僕等夫婦とあと一人だけ、お店の女の子と英語の勉強をかねて話をしていたよ・・・(笑)」集合時間に遅刻して最後にバスに乗り込んだのは、チェロの首席奏者イルッカ・パッリ氏。これで全員集合で出発である。このまま関西空港へ行き、翌日11日にフィンエアの直行便でヘルシンキに向けて飛び立つ。道中の無事を祈り、手を振った。

 東京に戻る私は11時前にチェックアウト。フロントで横を見るとなんとヴァンスカ氏。メンバーとは別行動だったようだ。確かに朝、姿はなかった。慌しくお別れの挨拶をして帰路に着く。帰宅したら恵理子さんからお電話を頂いた。彼女も別行動で東京のご実家に一度戻ったとのこと。高校を卒業してからほとんどヨーロッパでの生活。帰国もあまりしていなかった彼女は今回きっとゆっくり日本を見る事ができたのではないだろうか。

 ラハティ響の公式サイトを見ると、2006年秋~2007年春のシーズンに来日公演が予定されていることが掲載されている。札幌での成功をうけてのものだったよ
うだ。今度は何を持ってくるだろう。ヴァンスカ氏がミネソタでの活動が始まっているので恐らくオーケストラの環境は随分変化があるであろう。楽しみである。できることなら、シベリウスならば第2番以外の交響曲をお願いしたい。ラハティ響にしかできない作品がたくさんあるのだ。ぜひともこれを日本に持ってきていただきたいと思う。
 

2003年11月4日

 

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