10月8日朝9時15分、宿泊先のホテルからバスで福岡空港へ向かう。札幌への移動はメンバーと一緒に動く事になった。福岡空港での待ち時間は1時間ほど。福岡-新千歳の空路は初めて。かなりの距離だ。13時頃新千歳に到着した。市内までのバスに便乗させてもらう。福岡は気温が高かったのでTシャツ姿のメンバーも、札幌を前にしてコートなど出している人もいた。バスの一番後ろの座席に第二コンサートマスターのイュルキ・ラソンパロ氏と陣取ったが、この市内までの車内の様子が非常に面白かった。
新千歳空港からの道はまるでヘルシンキ・ヴァンター空港からラハティまでの道とそっくりな景色がある。高速道路の両側が原野だったり、白樺林があったり・・・。その樹木の姿、空の高さ、空気の透明度などが非常にフィンランドに似ている。北海道を訪れた人は一様に「ここは日本ではない」と思うらしい。「まるでヨーロッパのような空気だ」という言葉も聞く。私にとっては懐かしい第二の故郷で「戻ってきた!」と感じる地である。そんな景色が広がる道中、メンバーの姿勢がどんどんよくなり、車窓の風景を楽しんでいる様子がはっきりわかった。豊平川が見えて中島公園に近づく頃、ホテルが見えてくる。「あのホテルの裏が綺麗な公園で、その中にキタラホールがあるよ」と説明するとメンバーは満足げに頷いていた。最後の公演会場、札幌コンサートホール・キタラの名前は海外にもきこえていて、皆そこで演奏する事を楽しみにしている。ラハティでもぜひそこで演奏したい、ということを随分前から話していた。
ホテルに到着すると実にメンバーが活動的になった。顔が生き生きとしている。トレーニングウェアに着替えて、川沿いや公園の中をジョギングに出かける人。近くのクアハウスに出かける人。藻岩山に登る人、早速すすきの方面に向かって美味しいものを見つける人など・・・まるでフィンランドに戻ったかのように自由に呼吸をしているような印象を受けた。
私はこの日、ヴァンスカ氏のインタビューに同席することとなった。これはCD紹介の雑誌の記事となる。1時間ほどのものだったが、ミネソタ管の事、今後のラハティとの録音や演奏活動のことなどテーマとされていた。ミネソタ響での初めのシーズンではシベリウスは演奏しないヴァンスカ氏。「シベリウスしかできないのではないか・・と思われても困るので(笑)」ということである。ニールセン、ベートーヴェンをまずは取上げていくとのことだ。更にミネソタ管とベートーヴェンの交響曲全曲録音も決まっているとのことだ。
夜は札響のメンバーとシベリウスアカデミーに留学をしている日本の若手演奏家達と食事をした。丁度日本でのコンクールにあわせて帰国をしていた。彼女達は札幌出身である。北海道教育大学札幌校が交換留学生制度を執っているので毎年シベリウスアカデミーに留学生がやってくる。その中の一人、上山幸子さんはすでにヘルシンキで5年勉強を積み、フィンランドで仕事もはじめている。今ヘルシンキにあるスウェーデン劇場で籍を得て仕事をしている(彼女のホームページには当サイトからリンクを張っているのでぜひご覧ください)。このメンバーでホテルの入り口に集まっていたところ、ラハティ響のコントラバスのメンバー達と顔を合わせた。「蟹を美味しく安く食べられるのは、どこだ?」という質問で早速札響の方に調べていただいた。その会話の中で、いつもはクールな調子で話すペトリ・レヘト氏が「ここは、素晴らしい!僕はロヴァニエミの出身だが、まるで故郷に帰ってきたようだ、素敵だ!」と興奮気味に語っていた。本当にメンバーの顔が今までと違う。最終地ということでの意気込みもあると思う。何より自然がすぐ手に届くところにある街という環境がリラックスさせていると思った。札幌の夜は賑やかにふけていった。
2003年10月30日