1周年を迎えて

ラハティでの滞在もまもなく終了。今回は到着時に冬を味わい、帰国時には夏を味わっている。9月に入りだんだん気温が上がり、ここ2,3日は最高気温も25℃くらいまで上がっている。到着時より10度は違う。何とも忙しい気候だ。今は気持ちの良い秋晴れの中、皆戻ってきた太陽を喜び湖沿いの散歩を楽しむ人が増えている。

 8月29日で「森と湖の詩」も1周年を迎えた。予想をはるかに越える訪問のカウンターの伸びに本人は正直驚いている。そして感謝の気持ちで一杯だ。今後も様々な情報の提供と、活動の発展に頑張って行こうと思う。そしてサイトを支えて下さるスタッフの皆さんにもあらためて感謝を申し上げたい。あいにくメカニックなことには弱い私である。文章を書くことや情報内容の提供はできても、サイトの構成は自力ではできない。その方面の才能を持つ人を非常にうらやましく思う。

 同僚や先輩指揮者たちの中にはメカに強い人、弱い人両方いる。これは音楽的な表現にも何かしら影響するのであろうか・・・・

 それにしても改めてインターネット社会の便利さ恐ろしさなどを感じる。今回接続に必要な機材の一部を日本に忘れてしまった。しかし、何とかつなげたのでこれにはほっとした。かなり自分がこのシステムに依存しているな、と感じた。11年前のザルツブルグへの勉強の時にはパソコン持参など考えられなかった。連絡方法は知人の電話、ファクスをお借りすることだけだった。そして、手紙。今よりもずっと日本語に接する機会は少なかったし、日本の状況がなかなか入手できなかった。今は日本にいるかのように情報が入手できる。これは距離感と時間の感覚の麻痺にも繋がると感じている。現実感が乏しいまま受け取る情報に支配される危なさは結構現代の問題点であると思っている。もっと体感すること、実感することを大事に毎日を過ごさないと空想社会ですべてなりたってしまう。

 大きな社会的ニュースも一体どこまでが真実の報道なのか、時々疑問に思うことがある。以前海外で有名誌の記者が記事を捏造ということが話題になっていたが、これだけ情報社会になるとそれはいとも簡単に行われる。捏造報道が捏造であるということまであるかもしれない。逆に言うと、どんなに現実にその事実に出会っている人が声を大にして叫んでも、大きなメディアが反対のことを報道すると多くの人はそちらを信じる。今はその可能性と危険性を差し引いて情報を受け取らないといけないのだと感じている。

 人間一人一人が一生に現実に体験できることは限られている。目の前を通り過ぎ語りかけてくる多くの情報の波に飲み込まれないように、本当に自分の意見と実感を持って世の中を見ていくようにしないと、空想の産物の中で一生を泳ぐことだけに終わってしまう。そんな寂しく哀しいことはない。目の前にある現実を実感することの大切さを日々かみ締めたい。逃げることなく自分の場で生き抜く事、個人がそれぞれそれを覚悟すれば、もう少し投げやりな事件などが少なくなるのではないだろうか・・・。

 インターネットを通して伝わってくる日本の殺伐としたニュースを受け取ると、本当に哀しくなる。無視されたことで人を轢いてしまうまでに若者は制御がきかなくなっているのだろうか・・・。ここフィンランドも若い世代は問題が増えている昨今だということを聞く。人間、自分の力でなにか出来た時、わかったとき、とても嬉しく生きる喜びが湧き上がる。いつも目の前に膨大な情報があって、知りたいことがすぐ手に入り苦労せずに知ることができ、自分の体験のように錯覚してしまう感覚は、つもり積ると無気力に繋がると思っている。「わかっているよ!」「また、それか~」のことが、日々増えるわけである。その中で若い命は日々生まれ育っていく。この貴重な生命を大切に育て、命をつなぐということまで想像力を働かせて情報社会も形成していかないと、垂れ流しではあまりに危険が多い。一人一人の個性と能力が発揮できる包容力を持った大きな魂を持った場を増やして、少しでも創造性のある次の時代への力を蓄えていかないと、不安を抱えた人が蔓延する依存的な社会がますます膨らんでしまう。

 どこかの国のつまらない情報合戦が滑稽に感じる昨今である。現実に生きる人はもっと厳しく強くたくましいのだ。虚弱な都会派が情報に騙される。無骨な農民の気質を持つ森の民フィンランドの人々は容易に騙されない。非常に用心深く飾りごとに対して胡散臭い想いを抱く。格好良いこととは縁が遠いかもしれない、だが爽やかなたくましさを感じる。札幌で育ってきた感覚がこの地にいると取り戻せる。「森と湖の詩」次の1年も土臭く泥臭く育っていけるだろうか。
 

2003年9月7日

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