北欧の音楽家たちと作品 その1

二ヶ月エッセイを書かずに過ごしたが、そろそろ再開。いつの間にか梅雨の季節を迎えようとしている。今ごろのフィンランドは本当に素敵な季節で、夏を前に気持ちが弾んでくる時期だ。大げさではなく人々の顔が変ってくる。

 今年もそんなフィンランドからの客演が続く日本。秋には「フィール・フィンランド」というイヴェントもあり、その一環で多くの演奏会も催され文化の紹介が行われる。爽やかな5月はじめにはレイフ・セゲルスタムという現在のフィンランド音楽界のボスと言っても良い指揮者が来日。自作の交響曲第78番を含めて2つの演奏会のタクトを持った。前半のプログラム、シベリウス・交響曲第2番、グリーグ・ピアノ協奏曲、ニールセン・仮面舞踏会序曲のリハーサルには立ち合わせていただいた。

 セゲルスタム氏はヘルシンキフィルハーモニーの首席指揮者のポストを持つ一方、シベリウスアカデミー指揮科の主任教授でもある。氏のもとに教えを請いに世界各国からアカデミーを受験する学生は近年増えているそうだ。そして今年の入試では二人合格が決まったそうだ。昨年は4人。氏のレッスンの様子は前回のエッセイに書いてみたが、氏のオーケストラでのリハーサルの様子を少し書いてみよう。

 第2番はシベリウスの交響曲の中では日本では最も演奏会数の多い作品。もちろん今回のオーケストラも何度も演奏経験があるであろうし、昨年の1月にはヴァンスカ氏客演でも取上げていた。その際も拝見していたので、そのリハーサルで作り上げる姿勢と音楽の違いに私は非常に興味深い時間を過ごさせてもらった。ヴァンスカ氏の研ぎ澄まされた音色の追及、そしてストイックな歌いまわしとリズムの厳格さへのこだわりは新しいこの作品の魅力を生み出していた。直線的な音楽スタイルが、シベリウスの持つ自己への厳しさとフィンランドの自然の厳しさを肌で感じさせてくれる表現に仕上がっていたと感じた。

 
  そして、セゲルスタム氏である。全く反対のアプローチ。氏もリハーサルの間「古きよき音楽スタイル」という言葉でロマンチックな音楽スタイルを打ち出していた。ところにより、旋律ラインのうねりを重視するあまり 他の要素の形が犠牲になるということもあったが、氏にとってそれは副次的なこと。そのスタイルで結局非常に壮大な世界を描いていた。作曲家としての視点でスコアの読み取り方も独特のものがある。一方3楽章においては、執拗なリズムとテンポの正確さを求める厳しいリハーサルだった。しかし、氏の音楽的特質を最も明確に感じたのは ニールセンの仮面舞踏会序曲。非常に陽気な作品であるが、ニールセンの持つ和声のテンションの高さ、展開の激しさなどが存分に引き出されていた。アクアビットという蒸留酒を例に持ち出して、「デンマーク人は朝からこれを飲んでいるんだ!」と力説なさっていた。そんなはじけた陽気さがほしいという意図だった。後日デンマークに留学していた若者に確認したら、「お祝い事のある日やなにかにかこつけて、デンマークの人は朝から飲んでいた」という日常の様子を語ってくれた。(楽しいお酒は良いものだ。)

 作曲家である氏の作品は今年の3月ラハティ響で聴くことができた。そのときは交響曲第43番。現代のハイドンという声もきかれるほどの多作ぶり。日本での78番の初演にはあいにく立ち会えなかったが、スタイルは43番と同じということだった。指揮者はいない。セゲルスタム氏もピアノの席に座る。約束事とパートの演奏楽譜、全体の時間的流れが描かれたパート譜が存在する。リハーサルを聴いていると何が最終的な意図なのか次第にわかってくる。混在となっている音の要素の中からまるで現代の喧騒たる社会が浮かび上がってくるような姿。計画性も秩序もモラルもないような雑多な現代社会の要素がすべて同時に奏でられると、一つの安定した社会の形をなすというような印象をラハティではもった。果たして氏は何を思いこのスタイルで書きつづけているのだろうか・・・・

 豪快に食事をなさり、喜怒哀楽のとてもはっきりしたセゲルスタム氏。アカデミーでの先生としての姿は、やさしく厳しい目で学生達を見守りまさに温かなサンタクロースの様相。そしてオーケストラの前では自身の中にマグマのように渦巻く音楽を情熱を持って噴出す火山のような指揮者。素晴らしい音楽家である。

2003年6月2日
 

目次
閉じる