シベリウスアカデミーで その2

それにしてもアカデミーのオケは上手である。もちろん即席のオーケストラなので完成度は高くはないが。今回の課題は「ペトリューシカ」「マーラー交響曲第4番」「プロコフィエフ古典交響曲」などであったが、リハーサルはなくその場でどんどん作り上げていくだけなのに、初めからとても音楽的な音がする。自主性が見受けられる。悪く言えば指揮者を無視して・・・という場面にも出会うが、とにかく曲を良く勉強している。知っている。そして音がよい。

 この国の教育システムは以前別のところでも少し触れたが、一貫して幼少から行っているために基礎が非常にしっかりしている。教育者の教育ということにも非常に気を配っていて、教え方などそれがたとえば日本の感覚でアルバイトで子供に教えるような場合でさえ 教えるからにはきちんとしたことを伝えないと駄目だと アカデミーの中に教育の授業がある。指導法のチェックである。

 たとえば管楽器の指導では 呼吸法やアンブシュアなどを指示したり見本を見せたりという体に接触する指導があるが、その場合でも相手に対して不快を感じさせずきちんとわかるようにさせるには どのようにしたらよいか・・・などの指導法があるそうだ。幼い子供が重い楽器を支えられずに姿勢を崩して呼吸法が悪くなることを避けるための道具の開発もある。とにかく合理的である。そして同様の教育が国全体に広がっているため、基本の奏法が非常に同質であると感じる。弦楽器、管楽器ともにである。そのことは、プロのオーケストラが合同演奏会をすると非常に良くわかる。確かに各オーケストラの個性は存在しているが、音の同質化が早い。視覚的にも弦楽器のボウイングが本当に同一だと見える。

 これは1年半前、現在ラハティでテューバを学ぶ学生が入試前にレッスンを受講した際のこと。サルメラ氏というテューバ奏者で吹奏楽授業の指揮も担当している方からレッスンに立ち会って助けてほしいという連絡を受け出かけた。そこで日本からの学生が受けたレッスンは ひたすら呼吸法であった。2時間ほどのレッスンだったと思うがほとんどそれだけである。根気良く良い状態というものを丁寧に教えていらした。そして確実に受講生の音は変ったのである。難しい課題もその学生は用意していたそうだが、今はその必要はない、という先生の判断があった。何よりも良い音を確実に安定して出せるということが大切で それが結局エキストラなどの仕事に行くようになったときに、プロの音の中で力になるということ。難しい曲はそうしてプロの世界に出てからできる人が勉強していけば良いのだ、という考えに基づいている。

 他の楽器においてもそうである。2年前ラハティのAmmattikorkeakouluでは室内オーケストラと吹奏楽の授業を受け持たせてもらい、演奏会の一部を担当したが、その際にも上記の基礎ということを非常に強く感じた。10代半ばからの学生も室内オーケストラには参加していた。難しいパッセージは決して器用には弾きこなせない。しかし、彼等の音がひとたび一つになると、大人のオーケストラ顔負けのサウンドが作れる。フィンランドのオーケストラの弦楽器が 透明感のある美しいサウンドを持つ大元を見たような気がした。

 シベリウスアカデミー指揮科のディプロマ試験演奏会も聴く事ができた。この演奏会はアカデミーのオーケストラだったり、プロのオーケストラから仕事という形で機会が巡ってきたり、それはその時の運次第だと後で聞いた。今年のディプロマはまずはオーストラリアからの学生だった。「プルチネルラ」「モーツァルト-VnとVaの協奏曲」「シベリウス-交響曲第6番」などで演奏会が構成されていた。この公演のために1週間ほどオーケストラが編成されリハーサルが繰り返されたようだ。前述のようにアカデミーが学生を集める。演奏者として参加した日本人の報告によると、オーケストラの参加姿勢が悪く結果が引き出せなかったということらしい。確かに交響曲などは作品の難しいポイントがことごとく上手くいっていなかった。しかし、これまた音は素晴らしく良い。若き演奏者達だがシベリウスサウンドというものをやはり知っているのだと思い知らされた。

 まもなく1年の締めくくりの試験がやってくるそうだ。そして夏期休暇に入る。厳しくもあり、しかし確実に力になる教育を受けている環境。それらをぜひ大きく膨らませて世界で躍進してほしい。

 そんな彼等に自分も負けないように邁進する日々である。

2003年3月31日

 

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