シベリウスアカデミーで その1

最近とみに名前を挙げてきたフィンランド唯一の音楽大学である。学校の詳細は後日リンクを掲載するのでそこで見ていただきたい。現在は学費がかからないシステムのようだが、近年中に有料化の方向に向かっていると在学生からきいた。学校運営が厳しいということが、様々な教育システムに現在影響を及ぼしているらしい。

 現在も日本人の学生が複数在籍している。国立音大で授業を担当した学生も今二人このアカデミーに席を置いて勉強を続けている。彼等のお陰で随分学内を見ることができた。
又日本人の交友範囲も広がった。一人でラハティで研修をしていた時はやはり日本人との交流はほとんどなかった。研修終了の時に入れ違いで彼等が入学。ラハティのAmmattikorkeakouluという音楽高等専門学校にも同様にピアノとチューバの学生が入った。現在は彼等若い世代の日本人と顔を合わせることも多くなっている。

 クラリネットに札幌出身でアカデミーに4年在籍している女性がいる。彼女は日本人留学生の世話をするチューターの役割も務めている。皆の頼れるお姉さんである。彼女の出身校がアカデミーと交換留学のシステムを取っているようで、1年の期限で毎年学生が訪れているそうだ。今年もフルートとオーボエの学生に先日会った。指揮科にも一人在籍している。彼は東京の大学を休学中とのこと。昨年の秋に入学。今回始めて会うこととなった。セゲルスタム氏のもとで学んでいる。トランペットの名手 Jouko Harjanne氏のもとに二人の日本人学生が学んでいる。そのうちの一人が国立音大の卒業生。又、アカデミーには貴重なユウホニウム専攻の学生も昨秋入学。彼女も国立音大卒業である。ヴァイオリンやピアノにももちろん複数在籍者がいる。

 概ね日本よりも自由な勉強のシステムと見受けられるが、内容は厳しい。欧米の大学は皆そうであるが、入学した以上専門家になることを目指しているし その教育を国家挙げて行っているわけである。厳しさに耐えられない人は自主的に去るしか道はない。

 私は指揮科の授業を見学させてもらったが、面白い勉強のシステムだった。指揮科オケというものが存在する。これは大学がお金を奏者に支払って学生を募集するのだが、通常よりも縮小された規模のオーケストラを編成する。3時間にわたり指揮科の授業があり、そのオーケストラを相手に学生達は次々に制限時間の中で課題曲を振って行く。まるでコンクールの予備選考を見ているようだった。事前のリハーサルはまったくない。制限時間の中で、課題を通して演奏するも良し、リハーサルを行うも良し、その様子をヴィデオに収める。そして3時間の授業の後、指揮科の学生達は教官とともに部屋へ集合しヴィデオ鑑賞会となる。そこでセゲルスタム氏などの教官からプレーバックを見ながら具体的な指摘や示唆を受けることになる。質疑応答の時間である。

 シベリウスアカデミーの指揮科の学生は、必ず何らかの楽器を専攻していなければならないようだ。それを修めてからの入学が義務付けられていると以前聞いた。ヴァンスカ氏はクラリネットでアカデミーを卒業なさっている。サラステ氏やオラモ氏はヴァイオリン。サロネン氏は多才でホルンと作曲。ピアノ出身は意外と少ない。ピアニストとして有名なムストネン氏はここで指揮も学び今期からタピオラシンフォニエッタの首席指揮者となった。マルッキイ嬢はチェロ専攻だった。

 今回拝見した学生もヴァイオリンを専攻している女性や トランペットも同時に学んでいる学生もいた。ピアノ専攻でオーケストラの不足パートをピアノで代奏している学生もいた。多岐に渡っている。そして外国人が増えている。昨秋入学の4名はすべてフィンランド以外からの入学だったそうだ。セゲルスタム氏は語学に堪能なので、授業中も質疑応答も英語をメインに、ドイツ語も時折飛び出すなど自由自在に操っていらした。

 外国人の学生は練習は英語で行っている。伺ったところでは、教官の方がフィンランド人の学生にもなるべく英語でリハーサルをすることを課しているようだ。演奏者である学生も海外からの留学生が増えていることも一因だが、広く欧米での活躍を希望するものとしてはそれは当然の課題かもしれない。この辺日本という地にいると不利な環境だとつくづく感じる。我々はかなり意識して自主的に学ばないと日常外国語を使用することはほとんどない。

 セゲルスタム氏の指摘は最小限のことにとどめていらした。後は自己責任として現場で自分で気づき直しなさいという姿勢に見受けられた。客観的に見ると指揮者の責任かオーケストラの責任か-は良くわかるものである。たとえ指揮者の指揮法の未熟さが原因でオーケストラが演奏に支障をきたしても セゲルスタム氏は黙って顔をしかめながらも何もおっしゃらない。制限時間終了後少しだけポイントのアドヴァイスをなさるだけである。
そしてヴィデオ鑑賞会の際に、なぜうまくいかなかったかの説明をなさる。しかし、学生も黙ってはいない。自分が悪い、間違っていた、自分の責任であるということはなかなか認めない。この強さは共通して見られた。そんな質疑応答に時には教官が負けてしまうこともあるそうだ。見習うべき強さかもしれない・・・・・。

2003年3月30日
 

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