ラハティ雑感

昨日からフィンランド、ラハティ市のアパートに入った。今回は4月第2週までの滞在。前回の滞在は9月中旬までだったので5ヶ月ぶりとなる。さすがに3月を前にして、陽射しも暖かく長くなってきていた。そして寒さも思ったほど厳しくない。「今年の冬は厳しい」と、こちらの友人からの連絡を頂いていたが今日のところはマイナス5度くらい。

 2000年秋から5回目の滞在となるが、来るたびに楽しみにしていることがある。某局のテレビドラマである。内容が楽しみ・・・というわけではないのだが。実はこれ、初めの1年間の滞在時から続いている。ホームドラマで内容は至って日常生活を表した普通のものである。夕方のニュースの後に15分ほど放映される。平日は毎日。それがもう2年半も続いていることになる。出演者もほぼ同じ。主人公以外は少しずつ変りながら 本当に毎日生活をするように時間を刻んでいる。日本の感覚で考えると信じがたい番組である。ドラマだけではない。報道番組などもスタイルがほとんど変わらない。キャスターなども同じ。番組改編などあるのだろうかと思うほど時間帯も変らない。

 ラハティのメインストリートのAleksanterinkatuはほとんど変化がない。ヨーロッパの建築の特徴で外観は変えずに内装だけ変え、店舗が変ってゆくことが多い。その工事はいくつか行われていた。ホールまで歩く道では古いビルを壊して住宅に作り変えているのを見た。地震が無いので至って簡単な工法に見受けられる。まるで工作のように壁をくっつけて家が出来上がっていく。シベリウスホールの建つ場所は新しい開発土地のため、ホール周囲には来る度に集合住宅が増えている。ヴェシヤルヴィという湖沿いに立つ低層マンションは環境抜群。ラハティ響メンバーも何人か引っ越してきたらしい。職場まで徒歩1分。

 通信産業の先進国であるフィンランドだが、地方都市における変革は大きなものがあるようだ。研究都市として、大学を含めた研究機関とそれを実際に製品にする企業工場を含めた総合的な施設を地方都市に作っている。外貨を得る手段として国家として通信産業に非常に力を入れていることを昨秋日本フィンランド協会の例会で講義を受けた。その発展の速度は非常に早い。20世紀初頭まではフィンランドはどちらかといえば農業国家であった。戦後ロシアへの賠償金も短期間で支払い、そして国家としていかに力を持つかという対策で、第二次大戦後はこの通信産業が伸びてきた。成果を上げそうな研究には惜しみなく国がお金を出す。日本の通信産業の大手とは 開発の段階で深いつながりがあるらしい。フィンランドも日本もいずれも資源をそれほど多くは持たない小国。森林が多く水も多く、環境的には良く似ている国家だと感じる。通信産業で世界に進出という手段が似てくるのも当然なのだろうか。人口密度が低いフィンランドでは通信は命綱にもなる。

 日々めまぐるしい変化を続ける日本の都市部にいると、感覚がおかしくなる。ひと月ぶりに繁華街を訪れると必ず店舗が入れ替わっている。経済効率、競争社会、本当にそれらは人間に必要なことなのだろうか。資源を消費し、人間を使い捨て、自然の恵みに背を向けて地球を苦しめる。人間の怠惰さは文明を生んだ。楽にやりたいという気持ちが様々な知恵とともにモノの開発に拍車をかける。作ったものは地球を汚し、自分達で処理できぬまま未来の人類に望みを託すのみ。寿命を延ばす工夫はするけれど、高齢者の生活は考えない。(誰もが歳をとる)若者が減ることはかなり前から自明であったのに、何も対策をたてない。(教育の質の維持)国家としての哲学がないから何も発言できない。(誰かの後ろから叫んでも駄目)

 日本が哀しい国になっていることは世界中が良く知っている。日本という国が価値を取り戻すためには モノ作りの知恵を地球を救う知恵に早く転換させて地球と人類の役に立つことを発信していくこと。いくつかの企業は今そのことを競って開発しているようだ。又民間レベルでも危機感を感じる人の動きは活発になりつつある。前時代的な消費国家はもう終わりを迎えている。もっと必要な産業や仕事が今はあるのに・・・。そんなことも痛烈に感じるフィンランド滞在である。

2003年2月25日
 

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