指揮法講習会を終えて その2

ということで、2日目<作品の性格描写―組曲>へと進んだ。初日の夜は皆さんとの懇親会で楽しいひと時を過ごさせていただいた。日本酒党としては北国は誠に味わい深い土地だと感じるわけである。

 課題曲としてカバレフスキーの「道化師」を取上げた。その中から4曲をモデルバンドである高校生に演奏してもらった。準備などでも大変だったと思う。毎回高校生には大感謝である。彼等若い世代との出会いも自分にとって大きな喜びの一つ。楽器を通してまっすぐに伝わる音。そして実にしっかりといろいろな先生の指揮を見て演奏してくれる。こちらもあらためて気持ちが引き締まる。

 この作品、個人的に非常に好きな曲であり 以前別の項目で書いた「小学館 音楽の絵本」にも入っていた。9年前に東京佼成ウィンドオーケストラとも録音している。あの折のロシア音楽シリーズは熱の入った録音だったと思っている。それはともかく、「プロローグ」「ギャロップ」「マーチ」「パントマイム」という4つの作品。聴いて見るととても簡単な楽想で親しみやすくすぐ覚えてしまう。しかし、この作品のそれぞれの特性を一発で演奏者に指揮で伝え、聴衆に伝わるようにする、ということが意外と難しい。組曲である場合、それぞれの個性の表現ももちろん大切だが、全体の構成感も崩してはいけない。プロローグとギャロップのテンポ設定を間違えるとそれでバランスも崩れる。又マーチの概念から外れた特色あるこの組曲でのマーチの表現。パントマイムにおける道化師の哀しみなど 指揮法などと考える前に音楽の性格を的確に掴んだ指揮という必要が生じる。

 相手からどう見えるか、ということも指揮者にとっては気をつけることである。女性の指揮者について、少し触れてみたい。昨今日本でも女性指揮者は増えており、草分けの久山恵子さんから始まり様々な得意分野を生かしての活躍が見られる。海外では音楽監督を務める実力者は大勢いる。オーストラリア人で早くから欧州で活躍のシモーネ ヤング女史、今度ボーンマス響にポストを持ったマリン オルソップ女史 フィンランドオペラ界にも登場した 英国人シャーン エドワーズ女史などは世界を又にかけて活躍している第一人者であろう。若手ではフィンランド、英国で躍進しているフィンランド人のスサンナ マルッキイ。彼女はチェロの腕前も確かである。エストニア人アヌ タリが6月に日本に来るのも楽しみである。もう希少価値の世界ではないのである。何より教育の現場では女性教員が多い。吹奏楽の指揮でも同じである。

 そのような現場で合唱や吹奏楽の指揮をなさっている方からよく質問を受けることに、「女性として特別な指揮法があるのか」というものがある。逆に言うと男性と同じようにやっているつもりでも、どうしても女性は・・・と言われてしまうという悩みからの質問だと思う。答えはNO!!  特別な指揮法はない。ただ平均的に見ると女性のほうが筋力が弱かったり細身であったり、という特質から印象が偏ってしまうことがあるのだろう。決め所が弱く見える、重い音がでない、なんとなく頼りなくなってしまう、などなどの声をきく。今回受講された女性教員の方々もそれぞれに悩みのポイントがあったようだ。

 速い軽快な作品に対しては 素早い筋肉の動きのコツさえつかめば問題がクリアーできた。問題はやはり重くテンポの遅い作品。パントマイムに対して「どうしたら・・」と思うところがあったようだ。これは私自身も気をつけていることだが、筋力が弱い女性はどうしても指揮をするポイントがどんどん高くなってしまう。そうすると頑張って動かしていても、見ているほうからは息が十分に入りにくいし、音も軽いイメージに感じてしまう。ポイントは重心の置き方、そして腕を太く見せる指揮である。

 重量のある荷物を高く持ち上げられないように、演奏者から出る音を重い荷物のように感じて それを動かしていくイメージを持つ。そうするとどうしても指揮をするポイントは低くなるし動きもゆっくり距離は少なく、という状態になる。それが客観的に見ると腕の細さを感じさせない指揮にもなる。粘性の高い液体をゆっくりかき回している状態とでも言おうか。後はボディをふらふらさせないことも大切である。爪先立ちやハイヒールは避けたほうが賢明。モデル立ちも御法度。どんな音が出ても自分の体で受け止められるポジションを保つと 落ち着いて指揮もできるし 見ているほうにも安心感を与える。あとはもうご自由にどうぞ!である。恐れずに感じる音楽を表現していきましょう!

 指揮台というのはそこに立つ人を見事に裸にしてしまう。男女問わずその人間の特質を即座に明らかにしてしまう恐ろしい場所だと思う。そして性格描写のはっきりした作品を指揮する場合、自分の特質の上に、更に演技も必要だ。求める音になりきる、同化すること。それは表情だったり動作だったり、いろいろな手段がある。想うことだけでそれを通じさせることのできる指揮者もいる。飾りをたくさんまとって決して己を見せない指揮者もいる。それでも演奏者側からは丸見えだ!と良く言われる。この恐怖に打ち勝つ事も一つ大事な修行かもしれない。もうひとつ続けてみよう。

 2003年1月27日

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