変拍子 その3

リズムの基本単位、2と3、これをフィンランド人指揮者は「短い、長い―リュヒト、ピトカ」という二つの単語で楽員に伝達していた。5拍子や7拍子、又は4拍子であっても振り分けが2+3+3というリズムのこともあり指揮者は変拍子を言葉で楽員に説明する事がある。日本では数字で説明する。指揮法もこの説明にのっとって振り分けを行う。リズムの基本単位がどのようになっているか共通の感覚がなければ、アンサンブルはできない。これを演奏者側から見ると音符に慣れるまで練習をするという作業もある。もちろん指揮者もそうであるが、このときによく日本語の単語を用いる。

 たとえば、3+2又は2+3のリズムには「あきはばら」、2+2+3のときは「あかさかみつけ」等等。その昔京浜東北線の駅名をすべて変拍子の指揮で披露してくれた指揮者仲間がいた。ヴァンスカ氏も同じことをしていた。3は「フィガロ」2+3を「sekatavara‐セカタヴァラ(雑貨)」と表現してリハーサルに使っていた。バルトーク「オーケストラのための協奏曲」でラハティ響のリハーサルを任されたときに私は彼等に言った。「これからは AKIHABARA でやってみてください!」もちろん来日公演の時に彼等はかの地へ行っている。それ以後、あるクラリネット奏者は私を見ると「アキ ハバラ」と5拍子を歌ってくれる。  

 フィンランド人がフィンランドの作品の変拍子にはあまり苦労しないのは当然であろう。我々も邦人作品の変拍子は体に身につきやすい。面白かったのは、アメリカの作品 バーンスタインやコープランドなどリズムの乗りの良いと思われるものがラハティ響が意外と苦手であったこと。そしてバルトーク、コダーイといったハンガリーの作品のリズム(言語はフィン語とハンガリー語は遠い親戚)も思った以上に苦労していたこと。カレヴィ アホの難解な変拍子を難なく演奏できるのに・・・と非常に不思議な思いもした。恐らくこれは単純にリズムレベルの話ではなく、音楽と言葉という部分の問題になるのであろう。言語にはその発音の中に自ずとリズムが含まれている。イントネーションにもそうである。その点でもインドヨーロッパ語族とフィンウゴル語族は全く異なると感じる。
日本人は満遍なく勉強をして理解をしてしまう姿勢があるから、どの国の作品にたいしても差は出にくいかもしれない。この話は脱線しそうなので、又いずれ「音楽と言葉」の続きに書くことにする。

 本当に難しい変拍子というのは、上記のような概念に収まりきらないものであろう。11や13という音の数が等価で音符となっていたり、分析不可能なほど、リズムの単位が複雑に入り乱れていたり・・時折そのような作品にも出会う。解読に行き詰まると私は一度楽譜から離れる。そして作曲家がそのリズムを使い何を裏で意図しているのかを様々な角度から推理する。どういう音の現象、効果を求めているのか・・・。それによりかなり理解に近づく。変拍子ではないが、シベリウスの作品の細かな音への理解はその方法で見つけている。あれを四角四面にリズムの分析をしていては作品の本質には近づけない。

 これまでは上記の方法で解明できた作品ばかりであったが、この先もしそれでも駄目な作品に出会ったなら・・・・・違う生物の作品だ!と思って諦める。ちなみに機械が作り出す作品はいまだ手がけていない。

2003年1月24日

 

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