変拍子 その1

この週末はここ数年続いているA県指揮者講習会に講師として行く。このご縁は面白く、数年前東北地区の吹奏楽講習会という一大イヴェントがA県下であり、その折には指揮法だけではなく アレンジ、指導法など各方面の専門家が招かれそれぞれに分散して講習を行った。私はその折の指揮法担当。コダーイの「飛べよ孔雀―による変奏曲」が課題であったことを覚えている。モデルバンドもとても優秀で 様々な先生方の指揮にぴたりと合わせてくれた。そのご縁が続き、毎年A県下各地域に持ち回りで開かれる高校の吹奏楽指導をなさっている先生方を対象に講習会を行っている。一昨年スイスのルツェルンで開かれたWASBE(吹奏楽世界大会)に参加したのもこのご縁である。作曲家ホロヴィッツ氏やA.リード氏と面識を得たのもこの場であった。

 連続しての招聘を頂いているのでこちらもメニューをいろいろと考えることが楽しい。指揮法だけではなく、簡単なアナリーゼやスコアに対する読み方のヒントや 又指揮者として指揮台に上がる前の心構えや準備のことにも触れる。先生がたは指揮者というだけではなく、指導者でもあるわけでトレーナーとしての能力も必要となる。幅広い仕事の内容となる。こちらはそのことも踏まえて指揮法を紐解いていく。

 前置きが長くなった。今年は変拍子を課題に入れた。吹奏楽はいわば新しい分野で毎年膨大な作品が生み出されている。そして特に日本の場合、スクールバンドなどのアマチュアバンドで演奏されるという需要が非常に多い状況である。コンクールという存在もある。その作品群には時折難易度の高い指揮法を必要とするものもある。いつも講習の中で変拍子への質問がある。変拍子というものも曲者で、作曲者も様々なタイプの変拍子を用いたスコアを世に出す。単純に拍子を追っていけばよいものばかりではない。

 指揮とは「わかれば良い!」が今は持論だ。私の勉強してきたメソードはいわば“わかり易い指揮”を信条としている(かなり要約すると)。どちらかと言えば形にこだわったメソードかもしれない。しかし、今私自身はそれをベースにはするが必要な時に方法論として使えばよい!という持論である。見やすい指揮、音楽がよくわかる指揮、雰囲気が伝わってくる指揮、なんだかわからないが演奏者が必死になる指揮、確実な指揮、いろいろな指揮が世の中にはあるだろう。だが要は伝わればよい、わかれば良い!である。どんなに綺麗に指揮をしても、図形をわかりやすく示しても、格好よく振っても、指揮者がたとえばリハーサルにおいて口頭で演奏者に伝え要求する内容と実際振っていることが異なっていては意味がない。これは指揮の形という話ではない。総合的な指揮法の話である。

 その中で変拍子である。これはあいにくと正確に的確に振りなさい!と指揮法習得の初めに仕込まれた事がそのまま必要なことだと思う。なぜ変拍子が難しいのか。これは指揮の運動的に説明すると、運動の速度を変えなくてはいけないから難しいのである。普通二拍子も三拍子も楽曲のテンポ変化の指示がない限りはじまった速度で同じように腕を動かしていれば概ね問題は起こらない。一つのストローク、一つの運動の中に入る音符の数が異なったり、基本テンポの変化で運動の速度を変化させなければいけない、それが変拍子の指揮の難しさであろう。その意味で様々なタイプの変拍子の作品が世の中にはある。長くなりそうなので、その2へ続けることとしよう。 

2003年1月22日

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