寒波

日本も今年は厳しい寒波から始まった。新年明けてフィンランドから頂くメッセージに強烈な寒波の報告がある。ラハティの友人から「マイナス20℃前後です!」ヘルシンキの友人から「日本から戻りました、マイナス25℃です!凍ります」今日はオスモ ヴァンスカ氏から「ヘルシンキではマイナス25℃~30℃を記録しているよ」と・・・・北極圏の入り口ロヴァニエミでは一体どのようになっているやら。

 私もおととしは2月半ばにラハティでマイナス22℃を体験している、北極圏でマイナス27℃まで経験。室内はいつも20℃ほどに保たれているので、外に出るときだけ注意が必要な冬の生活。その服装は完全防備と言っていいかもしれない。特に子供達の服装がすごい。ぴったりと頭を覆い 耳を隠す帽子はもちろん、一番外側の防水性防寒着を身に付けるまで何重にも着ている。室内との出入りに要する時間は結構なものかもしれない。小さなお子さんを持つ友人達はいつも子供を急きたてていた。驚く事にこんな寒さの中、乳幼児を乳母車に乗せたまま 日中太陽のある時は1時間から1時間半は外でお昼ねをさせるのである。これは日の光を浴びなければ健康を害するということと、冷気に対する抵抗力をつけることもあるのだろうか。

 北国はどこも室内は暖かい。普段寒波に見舞われない地域は今年厳しい思いをしている。備えがない。気象はきまぐれ。せめて人間の業で気象の変化をまねいてしまうようなことだけはやめたいものだ。

 1月2月とロシアとフィンランドの作品を演奏する。両者ともに寒い国。陸続き。政治も文化も深く関わっている。チャイコフスキーの後期交響曲の時期は最後のロシア―トルコ戦争に始まりロシア社会激動の時期。そしてチャイコフスキー亡き後 20世紀初頭の革命に繋がって、フィンランド独立の流れとなる。日本ももちろん深く関わる。

 チャイコフスキーとシベリウスの一つの類似点。二人とも浪費家であったこと。理由は少々異なるが、二人とも外見を整える事 貴族的な風貌を保つ事に執着があった。当時の気候と家屋の構造、洋服の素材を考えると 冬の厳しさが伝わってくる。少し時代は前だがドストエフスキーの「貧しき人々」に何度も書かれている サモワールで暖を取る様子に なんだか深々と身にしみる寒さが伝わってくる。

 次はあったかい話題にしよう。

2003.1.9
 

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