東京新聞朝刊文化欄 記事

「唯一無二の響き」
 台頭するフィンランドの音楽家たち

~基礎を徹底的に重視 独自性に強いこだわり~

 「だれかを崇拝しすぎると、本当の自由は得られないんだぜ…ぼく良くしっているがね」(ムーミン谷の仲間たちより・山室静訳)。スナフキンはそうしてあの深い帽子の下で感じている。たった1人でいることの大きな喜びを…。トーヴェ・ヤンソン女史(1914年-2001年)によるムーミンシリーズでフィンランドに接する人は多い。このムーミンにはヤンソン女史の人生の哲学が語られ、深く重く、時には暗く原画からもその言葉が伝わってくる。そこにはフィンランド人の哲学があるとも言われる。

  筆者は2000年に文化庁芸術家在外研修生としてフィンランドのラハティ交響楽団で1年間の研修期間を送って以来当地にも居を置き、その音楽文化を研究、演奏活動を続けてきた。この5年間のフィンランド人演奏家・作曲家・教育者との交流を通して共通して感じるのは、彼らの「独自性」へのこだわりの強さ。そしてそのためには何より基礎が大切であるという徹底した考え方を教育現場では実践している。

 ラハティ市のポリテクニック(高等教育機関)の吹奏楽と室内オーケストラの授業を受け持ったときに感じたことは、ソルフェージュ能力など音楽的な基礎力が高いことであった。ソロでは難しい曲は演奏できるのに合奏で他人と音を合わせられない音楽家も多いのが日本の現状。フィンランドのレッスンの現場で見たことは徹底した基礎の訓練。管楽器のレッスンでは同じ音を一定の時間正確に伸ばすこと、正確なリズムを刻めること、良い音を確実に出せることに重点が置かれていた。良い呼吸法のマスターも重要な課題とされている。幼少から自分にあった楽器の選択の試行錯誤を行いながら各都市の公共の音楽機関でゆっくりと勉強が積める教育システムもその基礎確立には一役かっている。指が速く動くことや難しい曲を弾きこなす能力などは個々の才能に任されている。難しい曲はプロの現場で通じる音が出せてから自分で勉強しなさいという教師もいた。音楽性は教え込むことではないという姿勢が見受けられた。独立心の強いフィンランドの精神性あってのことだが、歌いまわしや解釈をコピーするような姿が見られる日本の音楽教育とは一線を画する。

  「すぐにそれがシベリウスの作品であることがわかる…このことが大切だ」。これはラハティ交響楽団音楽監督の指揮者オスモ・ヴァンスカ氏(1953年-)のコメントであるが、ジャン・シベリウスは交響曲第1番を書いたのが1899年。最後の7番は1924年。当時のヨーロッパの潮流を考えてみるとシベリウスの作品の主軸をなす交響曲の作風がいかに特別なものであったか納得できよう。シベリウス当人も若い頃(ころ)ベルリン、ウィーンで勉学の機会を得ており決して世間から隔絶された環境での作曲ではない。しかしそこから独立独歩の道を見つけていった姿勢はフィンランド人に共通した精神性を感じられる。そうしてシベリウスだけの音楽の言葉が確立された。「自分たちはアメリカの音楽を好きだけど、アメリカ人のようには演奏できない。でもそれで良い」。当地の友人の指揮者が語ってくれた。すべてを満遍なく勉強して積み上げてきた日本の西洋音楽への接し方とは初めから意識が異なっていることを痛感した。1865年生まれのシベリウスに代表されるフィンランドのクラシック界は、他のヨーロッパに比べてクラシック音楽の導入は決して早くはない。国歌を作曲したフレデリック・パシウス(1809年-1891年)はドイツ生まれであるが、フィンランド音楽の父として知られる。

  現在フィンランドの演奏会では自国の作曲家の作品を取り上げる割合が非常に高い。モーツァルト、ベートーヴェンという定番とも言える作品を演奏するのは、オーケストラによっては年に1、2回という年もある。我々の考えるクラシックという分野をコンテンポラリー(現代音楽)と名づけて分類していることも納得する。未来を見ている音楽界であるのだ。それは新しい国であれば当然の姿勢かもしれない。そして自国の文化への誇りを持っている。他国の素晴らしい文化と作品に敬意を持ちつつ、己のできることは何であるかを国を挙げて考え教育に盛り込む。カンテレという民族楽器を幼児期から学ぶ意味もそこにある。他者と自分との距離感を持ちながら自己をしっかり確立した若者が、今度は自由に世界へ羽ばたき自分の言葉で語れるようになっている。

  誰にも真似(まね)をできない唯一の音を求めて作る作曲家たち、唯一の価値を持つ演奏を目指してこつこつと自分を磨く演奏家たち、この地道な歩みが現在のフィンランド音楽家台頭という状況を生み出している。スナフキンが今日も1人旅の中でつぶやいている。「…僕は小川に小川そのものの調べを見つけてやらなくちゃ…(山室静訳)」(にった・ゆり=指揮者)
 

2005年7月30日 東京新聞朝刊文化欄 掲載

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