1200名を超えるお客様ご来場、本当にありがとうございました。
お陰様で、第50回という節目の公演を、盛況のうちに終えることができました。
エレティールの母体、電気通信大学のオーケストラ合宿に20代の頃先輩指揮者の代理で伺ってから、
こちらの皆さんとのご縁が始まりました。今回のプログラムに50回の公演の内容が一覧となっています。
あらためて、過去16回分の共演のシーンを思い出しました。
戦後最大の台風や、大雪などにぶつかる確率も高く・・・・
学生時代からのご縁が、いつのまにか皆さんご家庭を持ち、家族を持ち、社会人としてどんどん成長されています。そんな人生の中に、オーケストラ活動というものが深く入り込んで、週末に集い旧交を温めつつ切磋琢磨、どのアマチュアオーケストラもメンバーは、仕事・家庭とのバランスが世代ごとに変化してゆきます。
その変化にお互い柔軟に対応しながら、そのオーケストラにあった活動のスタイル、テンポを見出してゆく、
それはアマチュアオーケストラの醍醐味ではないかと思います。活動は営利目的ではなく、その活動にノルマがあるわけでもありません。逆に、愛好家としてとことん時間をかけて追及してゆくこと、技術レベルも様々なメンバーが集っているということを、お互いに理解し支え合い、そんな愛に満ちた気持ちがなくなったら、アンサンブルは不可能でしょう。
以前から気持ちの良い運営形態のエレティールです。大森代表の大きな心、大らかな眼差しがエレティール全体に注がれていることを毎回感じます。
中心世代がそろそろ40代後半、50代となってきました。
母校を卒業する若手世代をこれからは徐々に活動の仲間とし、次の世代が運営責任を持ち始めています。
過渡期・・ですね。
コメント
コメント一覧 (4件)
今回もマーラー通の友人と一緒に出かけましたが、彼曰く「2番はマーラーの交響曲の中で一番退屈だから忍耐力のテストみたいなもんだ」とのことで、ただでさえマーラー音痴の自分がどうなることかと心配でしたが、どうしてどうして最後まで眠気一つせず、次々と繰り広げられる音響絵巻に唖然とするばかりでした。
それにしても、シベリウスとは全く異次元宇宙のマーラーを、新田先生はどうしてあんなにやすやすと掌中に納めて、巨大編成のオーケストラと合唱団を見事な統率力で意のままに操ることがおできになるのだろうと驚嘆するばかりでした。底知れぬ力量を秘めて居られるのは間違いないと改めて確信しました。
テレビ番組で小澤征爾氏が「指揮者の実力はスコアリーディングの能力に尽きる。そして、オーケストラが音を出す前に、自分の耳の中でそのすべてを鳴らすことができなければならない。次に耳の中で鳴っている音を、的確にオーケストラに伝える能力を発揮でなければならない。」と言って居られました。
あの90分近い長大な曲の、巨大な音響の塊をスコアから次々と取り出して空間に響かせるためには、事前に延々と果てしなく続く譜読みのご努力が山のように堆積しているに違いありません。しかも、スコアの細部に秘められたマーラーの想いを汲み上げる繊細な作業にも膨大な時間を費やされたことでしょう。
作曲したマーラーの能力も理解を超えた存在ですが、それを軽々と(そう見えました)指揮される新田先生は何という凄い方なんだろうと驚嘆するばかりです。
シベリウスがお得意であることは理解できますが、彼と全く異質なマーラーが新田先生の世界の中で共存できるとは信じがたいところです。それだけスケールの大きさ、包容力を持って居られるのですね!
そんなわけで、10月11日は未知の巨大な新田ユリ像を目の当たりにして、ただ呆然と仰ぎ見るばかりでした。個人的にはシベリウスや、ショスタコーヴィッチ、ブラームスを指揮される時が落ち着きますが・・・・。
junsin様
ご来場今回もありがとうございました。そして望外のもったいないご感想を頂戴し、恐縮しております。ありがとうございます。
第40回の時の日記を読み返してみたのですが、(5年前)あの時もお聞きいただいていましたね。5年でオーケストラも少しずつ変化があり、自分も少しは変化があり、決して同じ条件ではありませんでしたが、またこうしてエレティールの皆さんと大きなステージを成し遂げたことはとても嬉しく思っています。今回は力強い合唱団、ソリストの応援もいただき、大掛かりな公演のため、エキストラや音楽スタッフの存在も本当に心強く、全員で最後まで完走できたという実感です。
「復活」は、高校生のころから自分の内側にあった作品です。マーラーの中で一番長く接している(演奏は初めてです)作品です。ある意味人生の時間と作品に流れるメッセージが自分の中でリンクしていたかもしれません。
アマチュアリズム溢れる素晴らしい楽団と合唱団の心意気、熱意も作品の表現に大きな力となっていました。
今回もお聞きいただけ本当にありがとうございました。次の公演もお楽しみいただけるよう精進続けます。
新田先生の世界には、マーラーが高校生の頃から存在して居たと伺い、ではシベリウスへのアプローチがむしろ後だったのか!と、また驚きました。
ハイティンク、クーベリック、ショルティ、バーンスタイン、アバド、メータ、レヴァイン、テンシュテット、ベルティーニ、インバルなど名だたるマーラー指揮者達は、バーンスタイン、レヴァインを除き、シベリウスには見向きもしていません。
シベリウスとマーラーはそれほど異質・異次元・別世界なのではないかと思います。バーンスタインはしばしばシベリウスに取り組んでいますが、ひどく一人合点の演奏のようにきこえます。両者を正しく共存させるのは至難の業なのでしょう。
それが、新田先生はシベリウスのスコアから汎神論的な宇宙もしっかり読みとり把握され、シベリウスの肉声が聴えるような演奏をされますが、他方、マーラーも既に自家薬籠の中に入れて居られるという、稀有の指揮者なのですね。
どのようにしてシベリウスの世界をご自分のものにされたのでしょうか?
きっと、スコアを力業で処理して我流の世界に仕立てあげるのではなく、それを真摯に読み込む地道なご努力と、作曲家の真の意図を汲み上げる稀なる感性・知性を兼備されて居られるからだと思います。
今後のコンサートがますます楽しみです。
junsin様
コメントありがとうございます。
シベリウスの作品に触れるのは比較的遅かったのですが、シベリウスの作品の背景の世界には、子供のころから接していたように思います。その部分はまだまだ研究途中であり何も結論を見ませんが、自分にとってシベリウスの楽譜はとても自然ですべてが納得のゆくものとしてとらえています。
音符、楽譜という限られた手段で記されているもの、作曲者によりその記号の背景は大いに違います。自分がまだまだ理解できない作曲家も作品も多い状態、音楽活動において作曲者たちが遺した音の言葉の真髄に迫ること、それが音楽家の使命だと思っています。まだまだ道半ば。
自分で意識しているのはただ一つ、「世界は広い」です。自分の視野を広げ、内側の世界を広げることを一生停めてはいけないと考えています。
その中で、少しでも作曲家が見た世界と接する瞬間があれば・・・
また、演奏会で一つずつ答えを出してゆきたいと思います。
いつも、丁寧に聴いていただき、本当にありがとうございます。
お言葉に励まされます。