コンサートホールで聴く 中日新聞エンタ目

お客さまも楽器の一部

 今回の旅はコンサート会場。コンサートホールは、たんなる「箱」ではなく「楽器」です。ステージ上で奏でられるたくさんの楽器、それと一緒に共鳴し客席を埋める聴衆に響きを届ける、それがコンサートホールです。楽器が湿気を嫌うように、ホールも湿度には気を使います。まもなく訪れる梅雨は演奏会には大敵です。

 日本最古のコンサートホールは旧東京音楽学校(東京芸術大学の前身)の奏楽堂で、一八九〇(明治二十三)年に建立されています。およそ百二十年前です。ヨーロッパでは、最古の管弦楽団といわれるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が一七四三年に設立されて、一七八一年にホールが建築されています。このようなコンサート専門のホールはこの時代、まだそれほど多くありませんでした。十八世紀の音楽界は、ほとんどが宮廷サロン、または貴族の個人的なサロンで催されていました。王室お抱えの楽師たちが、お抱えの作曲家による作品を次々に演奏していったのです。「現代曲」のコンサートだったわけです。それは社交の場でもありました。

 最近の日本のクラシックのコンサート会場では、実はトラブルが多発。理由は「どのようにコンサートを聴いたらよいのか」、その認識の違いです。「謹聴!」という声とともに身動きせず良い姿勢で聴く生徒たち。その前で私たちは音楽鑑賞教室と銘打って親しみやすい楽しい曲を並べたプログラムを演奏。メンバーによるユニークなパフォーマンスも入ります。でも誰も笑いません。笑ってはいけないのです。「謹聴」という号令が周りで見張っている先生から発せられたのです。これはわずか十年ほど前の体験です。

 次は聴衆としての体験です。素晴らしい演奏会の後、ホールロビーで帰路につく客の集団の中から怒号が飛び交いました。明らかにけんかの様子。後で聞いたところによると、隣席の物音が不快であり、静寂を邪魔されたことへの立腹だったとか。せっかくの演奏会の余韻もこれで壊れました。この種の出来事が現在多発しているのです。そのためにオーケストラの事務局、また演奏会の主催者は、最近のプログラム冊子に「コンサートのききかたマニュアル」を掲載しています。

 実はこの種の「お願い」は十八世紀から十九世紀にわたり、演奏会が市民の手に委ねられるようになったころにもあったのです。十八世紀のサロンコンサートでは、私語は常識。何しろ社交の場です。居眠りも多々。無理もありません。コンサートは四時間にも及ぶことも。交響曲は楽章を分断して演奏され、人気のある楽章だけ何度も繰り返します。現在ある数十分を静かに拝聴という習慣はまだなかったのです。

 聴衆の層が変化して、作品を聴くことを楽しみに集まる聴衆からのクレームが増え始めたころ、クラシック音楽への啓蒙(けいもう)活動も盛んになってきました。偉大な作曲家たちのレッテルがはられたのもこのころからです。「素晴らしい芸術作品を鑑賞する態度」というものが徐々に演奏会に定着していったのです。

 日本では、現在その啓蒙活動が強く残るのは「音楽鑑賞教室」といわれる演奏会。「謹聴!」の学校も演奏者に配慮くださったのだと思うのです。でも、生まれて初めて生のオーケストラの響きを体験する子供たちには、せめて感じるまま、思うままに聴いてもらいたいと思います。感動や興味は人それぞれ。受け止め方に幅があるほどに、その先の感性のふくらみははかり知れません。

 お客さまもホールに入ったとたん楽器の一部となります。そのことだけ少しお心に留めていただいて、あとは自由な気持ちで演奏を楽しんでいただければと私は思います。

 苦虫を噛(か)み潰(つぶ)したベートーヴェンの顔は、実は「作られた姿」なのだと、歴史学者は語っています。(指揮者)

 

(2007年6月6日 中日新聞 掲載)

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