音楽は音楽だけにあらず 中日新聞エンタ目

広い世界へとつながる

 現在、義務教育の現場から音楽の授業は減りつつあります。これは日本だけではないようです。音楽を授業として考えることの意義に世界の教育の現場が悩んでいるのでしょうか。点数をつけることが難しい芸術分野。価値判断が多様だからです。そして点数評価をできない科目を学校教育から排除する傾向は残念ながら続いています。

 教育の現場でいつも不思議に思っていることがあります。歴史の授業です。なぜいつも縄文弥生時代から始めるのでしょう。ほとんどの生徒が現代の日本史、世界史をあまり学んでいません。この問題はあまりに大きいので他の場に譲ることとして…音楽も同様の疑問があります。なぜいつもバッハが基本になるのか、ベートーベンがなぜ偉大なのか、モーツァルトがどうして天才といわれるのか。

 もちろんこの偉大な作曲家たちの素晴らしさは音楽家として崇拝せずにはおれません。それらが現代の音楽芸術の基礎となり核となっていることは確かなこと。

 しかし外国語の学習のように文法を基礎から覚えるごとく、「立派である」「偉大である」「大事である」と題目のように伝えるだけでよいのでしょうか。現象を逆にたどっていくことで、思わぬ発見や広がりに出合います。積極的な探究心も生まれます。ちなみに語学教育も最近様子が変わってきています。

 現在聞くことのできる音楽は過去の素晴らしい作曲家たちが生み出してくれました。その数々の作品が生まれたのは、昨日でもあり三百年前でもあるのです。最近ポップスの世界にクラシック音楽をベースとしたもの、クラシック音楽の作品のメロディーを拝借したものが多く登場しています。ホルストの組曲「惑星」の木星は近年知名度がアップしました。ベートーベンのピアノソナタ「悲愴(ひそう)」の第二楽章もたくさんの人が歌っています。バッハを基にしている曲は数知れず、私も若いころ演奏したプログレッシブロックの世界はブラームス、ムソルグスキー、チャイコフスキー…なんでも出てきます。逆の音楽史の授業を行うと面白いかもしれません。原曲探しです。夏休みの教材にはうってつけ。

 音楽の授業に必ず出てくる鑑賞教材。これは世界史や日本史と連動させて体験する機会があると、もっと豊かな知識となり感性も踊りだすことでしょう。織田信長が接していた西洋の音楽を想像してください。江戸時代の中にJ・S・バッハも入るのです。ベートーベンが生まれた少し後、日本では杉田玄白の解体新書の出版がありました。明治元(1868)年はシベリウスが生まれた三年後、ワグナーもいます。ブラームスもいます。チャイコフスキーもいます。それぞれの国がどんな文化を持ち、どんな歴史的な歩みをたどって今に至るのか、歴史の教科書だけではなく耳から入る音の歴史もあわせて学んでみると、それは一つの音楽の授業になっているのかもしれません。違う文化の国の音楽が似ていることも多々あります。その理由を考えたときに世界の動きや民族の特色を知ることになるでしょう。

 すてきな旋律を覚え、それを誰かに伝えたくなったとき、音符を書くという技術がほしくなる。「Jupiter」を知り、ホルストという作曲家を知り、原曲のオーケストラの響きを知ったとき、世界がまた一つ広がるかもしれない。多くの楽器の名前を知りたくなる人もいるでしょう。コンサートホールに足を向けたくなるかもしれません。音符の理論、ドレミを覚えていきながらホールの音響に興味を持って音響工学の世界に向かう人もいるかもしれない。楽器制作に興味が向くこともあるでしょう。音楽の世界は実はとてもたくさんのことにつながっているのです。子どもたちからそういうすてきな世界に接する時間を奪わないでほしいという強い願いを今日もフィンランドの空に託して…。(指揮者)

 

(2007年8月1日 中日新聞 掲載)

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