情報の海の中で 「放射線-東京新聞」・「紙つぶて-中日新聞」

情報の海の中で現代の近代国家は存在している。正確に言うと成立していると言ったほうが良いか。地球の裏側のこと、地の果てのこと、宇宙のことが同じようにリアルタイムで伝わってくる時代に入ってから、どうも人間の感覚がおかしくなっていると感じることが多い。人間は知ることである興奮を覚え、知識を蓄積することは喜びにつながるようだ。そのためテレビでは「トリビアの泉」という番組が大変に評判を呼んだ。それに類を為(な)す番組も続出。番組スタッフは情報収集に東奔西走大変なことと思う。

 知る喜びも楽しみも、やり方を間違えればそれは「脳の疲労」になる。「感覚の麻痺(まひ)」につながる。そんな状態が今の日本であるように思う。知らないことに首を突っ込んだり挑戦する喜びを全身で感じていた幼い頃(ころ)の気持ちを覚えている方も多いであろう。宮崎駿氏はそんな感性を忘れてはならぬという哲学を持って一連の作品を作り続けているそうだ。謎を謎として楽しめないことは不幸だ。謎としてその存在を認めることは、ある種の畏(おそ)れの気持ちがある。人智の及ばぬ世界に対して、あまりに急激に我々は畏れを忘れてきた。畏れを忘れる手段が、人様が解明してくれたことの情報提供に拠(よ)っている。

 科学が解明することは悪ではない。その行為に対して謙虚な気持ちを忘れた瞬間悪魔が噴出する。

 「あるある…」という知識や情報の確認作業がある。それもまた喜び。しかし目の前におこる事象に、常に自分の目線自分の尺度での「あるある」という確認作業だけで終わっていることは、果たして本当に楽しいことなのか。どこかで耳にした曲に演奏会場で出会って喜びを得る。これは素敵なことだ。しかしその先を音楽家はいつも考えていなくてはいけない。確認作業に訪れる人だけに満足される演奏会作りでは未来はない。(指揮者)

「放射線-東京新聞」・「紙つぶて-中日新聞」
2004年12月15日夕刊 掲載

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