コラム
2003 年 9 月 1 日、第 4 回シベリウス音楽祭は「カレリア序曲 Karelia-alkusoitto 」のリハーサルから始まった。5ヶ月ぶりに聴くラハティ響-オスモ・ヴァンスカ氏の演奏。このコンビにはすでにお馴染みの作品でもリハーサルから決して手を抜かない音作りはいつものとおり。そしていつもに増して非常に精緻な美しい音が生まれていた。「オーケストラが更に成長した」この9月1日の正直な感想だった。
オスモ・ヴァンスカ氏は 1988 年からラハティ交響楽団の音楽監督になり、ここまで 15 年という長い期間を、確実にラハティ響を育て上げてきたのは言うまでもない。今年の秋のシーズンからはアメリカのミネソタ管弦楽団の音楽監督も兼任なさる。マルッティ・シミラ( 1950 ~ 58 )ウルポ・ペソネン (1959 ~ 78) ヨウコ・サーリ (1978 ~ 84) ウルフ・ソダブロム (1985 ~ 88) という音楽監督を経て 1988 年からオスモ・ヴァンスカ氏に引き継がれた。当時の本拠地は現在のコンセルヴァトリの中にあるフェリックスクローンホール。また市内中心にあるリスティン教会でも演奏会や録音は頻繁に行われていたようだ。当時の写真なども資料に残っているが、細かく楽譜をチェックし、団員と密接に討議し、一つ一つ確認をしながら作り上げていった姿勢が伝わってくる。決して高いところから団員を威圧し統一するタイプの指揮者ではない。要求ははっきり、しかしいつも団員ができるまで根気良く練習を積み、時には分奏も組み込み 全員が納得いくまで時間をかけて作品を仕上げていくのがラハティのやりかただったようである。そしてその姿勢は現在も引き継がれている。
2000 年の 3 月に現在の本拠地シベリウスホールの柿落としがあり、その秋のシーズンからは新たな企画も盛り込まれてきた。通常のスケジュールは、月曜日から水曜日まで午前 10 時から 14 時までのリハーサル、そしてコンサート当日の木曜日は午前 11 時から 14 時までのゲネプロ、そして 19 時からの本番となる。週末土日は基本的に休日となるが、特別なコンサートの場合土曜日に設定されることもある。その場合でも必ず代休を取るシステムになっている。そして金曜日が大切な日。分奏の日。以前はヴァンスカ氏自ら各セクションを順に分奏して次の週のリハーサルに備えるということを行っていたそうだ。しかし昨今ヴァンスカ氏の多忙によりその役割は各リーダーに任されることが多くなってきた。特に活躍するのが、ソロコンサートマスターのヤーッコ・クーシスト氏。最年少のコンサートマスターだが、自ら作曲もし、編曲もお手の物、ポップスへの才能もある万能型の演奏家。前回来日公演のソロヴァイオリニストであった弟ペッカ・クーシスト氏とともにフィンランドの若手音楽家の筆頭であろう。そのヤーッコ・クーシスト氏のリハーサル手腕はかなりのものである。私はこの分奏の木管セクションを担当し、時々新曲の譜読みをヴァンスカ氏の代わりに行うこともあった。きちんとリハーサルを積み上げること、これは団員が望んでいることであり、決してヴァンスカ氏からの指令ではなかった。
ヴァンスカ氏のリハーサルの特徴は「繰り返すこと」これに尽きる。一度うまくいっても決して満足なさらない。更に確実に本当に定着するまで追及を続ける。「もう一度!もう一度!」私がはじめに使えるようになったフィンランド語はこの言葉だったかもしれない。もちろん時には楽員の方が根負けすることもある。 SISU というフィンランドの魂を表現する言葉があるが、その意味の通り「忍耐」「我慢強さ」「不屈の精神」という精神性を楽員はすべて持っている。しかし時には爆発もする。良く言われることだがフィンランド人は「突然怒る」民族だということだ。そんな現場にも何度か接した。突然リハーサルの中で楽員から声があがる。それは決して首席の役割を担っている人だけではない。時には指揮台の側まで出かけていき、自分の目でスコアを確認しヴァンスカ氏と話し疑問を解く。抗議に出向く人もいる。しかし意図と理由がわかればその怒りの姿勢はすぐに解く。長い付き合いの中で本当にお互いを良く知り尽くしている者同士の戦いの風景である。ヴァンスカ氏も理解を求めるために強い口調だが辛抱強く説明を続ける。しかし基本的には目的にむかって、ひたすら黙々と歩む姿勢。これがリハーサルの風景でもある。
フィンランドのオーケストラの特徴には音の同質性があると思う。これは教育システムを見てきてわかったことだが、幼少の頃から一貫した教育が地域の音楽学校でなされている。その頂点がシベリウスアカデミーという国内唯一の音楽大学。もちろん国外で勉強を続ける人もいるが、現在活躍する音楽家はほとんどがこのシベリウスアカデミーの出身である。ラハティの音楽学校での授業を研修中担当させていただいた。その際にうけた印象は、とにかく音の美しさと奏者の耳の良さにある。 10 代後半の弦楽合奏でも響きあう音の中に大人のオーケストラに負けない音の充実を感じた。決して器用ではない。難しいパッセージは時間をかけてできるようにしていく。すぐに音が並んでいく日本の音楽教育の現場とは全く異なる。しかし仕上がった音は見事なものが響いていた。プロの現場で力を発揮できる音と耳を育てていくこと、それが何より大切だということを学校の担当教官から伺うこともできた。ラハティ響は毎年フィンランド国内の他のオーケストラと合同演奏を行う。そんな時この音の同質性と教育の一貫性を更に強く感じる。オーケストラごとの特徴はもちろんはっきりと存在するが、短いリハーサルの期間で非常に質の高い同調性が生まれている。
ラハティ響とヴァンスカ氏との仕事の中ではコンサートも録音も同じ比重で行われている。録音もなるべくライブに近い状況で撮っているように感じた。 BIS とのシベリウス全集の録音の中でも、録音技術や高度の編集処理に頼らない姿勢を強く感じた。繰り返す中で音楽を煮詰めていく演奏会への姿勢は、そのまま録音にも生きてくる。このコンビの録音がいつも真摯な姿勢で感銘を受けるのは納得がいく。この録音時にも又、コンサートにおいても問題になっているのがホールのライトであった。かすかであるが音を発するライトは消してしまう。時には譜面灯を使ってのコンサートとなる。ヴァンスカ氏の音作りの中で小さな音は大事な意味を持つ。シベリウスホールはすべてが木で作られていて、又密閉空間になるため、相当な静寂が可能である。その中でライトのノイズはかなり気になる音だ。録音時に楽員の一人一人が「あのライトからも音が出ているよ」と口々に指摘して、環境を整えていくこ
とはいつものこと。楽員も心得たもので演奏時の不慮のノイズで録音テイクが増えたことはあまりなかった。もっとも静寂への心遣いはフィンランドという国の特徴でもある。日常の環境でも騒音は御法度。ご近所付き合いの中でも大事な気遣いであるらしい。街中での騒音もほとんど出会ったことがない。イヴェントで発する騒音もけじめがしっかりしている。私も住み始めた頃は自室でのわずかな騒音でさえ周りに聞こえてしまうのではと感じる静寂に戸惑うこともあった。そんなお国柄、耳の環境を整えてよい演奏に望むという姿勢は全員に備わっていると感じた。耳栓を上手に使って耳を保護することも日常である。頻繁に耳を休めること、静寂を感じ取ること、その中から本当の音楽が生まれてくる。忙しさや騒がしさの中で仕事をこなしていくことへは一貫して NO と言う。
1999 年秋の初来日公演での名演は忘れることができない。この東京でのシベリウス交響曲全曲演奏会初日にはじめてヴァンスカ氏とお目にかかることができた。仙台フィルハーモニー管弦楽団に客員としていらしていたフィンランドの代表的なティンパニスト ライナー・クイスマ氏のご紹介を頂いて実現した出会いだった。快くお忙しい中お時間を取っていただけてヴァンスカ氏のもとで勉強させていただきたいことをお話した。丁度その演奏会の近い時期で私自身が交響曲第 1 番と第 5 番を指揮する機会があったのでスコア持参で質問をさせていただきながらの 1 時間ほどの会話の時間。受け入れを気持ちよく承諾いただき、その後文化庁の審査も通過し 2000 年 10 月から 1 年間の期間研修が実現することとなった。あのときの喜びは忘れられない。
はじめの出会いでヴァンスカ氏が繰り返し話してくださったこと、「なぜ自分は小さな音を大事にするのか」その姿勢はある意味、現代の音楽をとりまく環境すべてに疑問を投げかけ闘う姿勢にも受け取れた。フィンランドという国家が人間の自然との共存を強く意識し近代を歩んできていることは自明のことだが シベリウスという作曲家自身が 19 世紀半ばからの自身の 92 年にわたる人生の中で、急激に変化する世界を前にしてアイノラという静寂の空間で悩み孤軍奮闘し、自然と会話をする中で数々の作品を生み出していった姿に、まさに現代のフィンランド国家の魂をみるような想いを抱く。そしてその作曲家の精神性を音符の隙間からまっすぐに受け取り厳格に表現しようとしているのが、このラハティ響-オスモ・ヴァンスカ氏の演奏だと思う。ヴァンスカ氏のご両親はカレリア地方のご出身だと伺った。そしてそのことが非常にご自身のシベリウス理解へインスピレーションを与えているということもお話してくださった。音符という限られた手段を使っての作曲家の仕事は手にするものがどこまで作り手の魂の本質に迫れるかで、演奏行為で空間に解き放たれた時の聴こえる言葉が異なる。シベリウスだけの言葉、それをヴァンスカ氏は誰よりも理解していると思う。
今回の来日公演ではシベリウス以外の演奏も聴くことができる。ラハティ響との現地での演奏会では最近ベートーヴェンを取上げることが増えている、又フィンランド人の新作の演奏は多い。レジデンスコンポーザーのカレヴィ・アホ氏の作品はもちろんのことである。演奏会の回数は決して多くはないのでレパートリーは毎年変わってゆく。スタンダードと言われる古今東西の名曲も何年かごとに一度演奏するというペースである。毎回どの作品にも全力投球のコンビである。
指揮者のあり方は様々だ。しかしここに非常に実直で誠実な音楽家がオーケストラとともに一つの成果を挙げている素晴らしいお手本がある。音楽家としての本質をこの 3 年間ずっと拝見してきた。作品を作る人間、演奏する人間、聞いてくださる人間それぞれを大事にしていく姿勢、決して急がず力を蓄えていった結果が今のヴァンスカ氏の姿でありラハティ響の力であると思う。今秋も素晴らしい演奏会が日本各地で聴かれることを確信している。前回の来日公演には同行していなかったが、 10 年ほど前から団員として活躍している日本人の恵理子・コルホネンさん(フルート)が今回は参加している。団員数も少しずつ増えている。 4 年ぶりの来日公演、又新しいラハティのサウンドが聴けることと思う。
2003 年 9 月 2 日 ラハティにて