淡交フィルハーモニー管弦楽団第49回定期演奏会に寄せて

 

「時の足音」
 
古今東西星の数ほど存在する作曲家。しかしその中で時代を明確に写し後世に伝え、その音の響きで我々に「時の足音」を聴かせてくれる作曲家は限られる。
エグモント伯が次の時代を夢見て、力強く刑場に踏み出した音、ナポレオンが18世紀を壊して新たな世紀を築きあげると信じて託した音、ベートーヴェンの描いた当時の未来の音は21世紀の我々に大きな力を与えてくれる。
 
劇付随音楽<エグモント> (1809年~1810年作曲)
16世紀の実在の人物、エグモント伯。スペイン領ネーデルランドの地で、祖国の自由を求め最後は捕らわれの身となった。史実をもとにゲーテが戯曲を15年かけて書き上げた。しかしまもなくシラーが上演のために改作。それはゲーテの原作をはるかに上回る数の上演がなされたことは面白い。ゲーテはエグモント伯とそれを取り巻く人間模様を描き、エグモント伯の人物の魅力を前面に出している。一方シラーは歴史的事実を重んじて、政治の中の悲劇のヒーローという役割を持たせている。ゲーテの原作は1788年に刊行。シラーは1796年に改作を行っている。当時の人々が求める姿は歴史のヒーローだったのかもしれない。
しかしベートーヴェンはゲーテの原作を選んだ。シラー改作版にはない乙女クレールヒェンによる歌曲も盛り込んだ。ゲーテの原作では政治的な駆け引きの中で葛藤するエグモント伯の心が見える。序曲冒頭の悲劇を告げる厳しい音の影で陰鬱な、そして哀愁漂う旋律が荒れ狂う時代を駆ける三拍子の音楽を導き出す。政局が厳しくなり民衆も遠ざかり、孤高の牢獄生活の中で見た女神の夢。それは彼を慕い続けたクレールヒェンの姿だった。その女神の幻影に勇気づけられ「俺は自由のために死ぬ、君たちも最愛の者を救い出すためには喜んで倒れよ」と言葉を残し刑場へ歩んでゆく。序曲最後には、エグモント伯の信念とやがて訪れる自由への民衆の歓喜の音が走り出す。
 
<交響曲第3番>(1803年~1804年作曲)
一方「英雄」である。この交響曲第3番と時の人ナポレオンとの関わりは多くの人が伝えるところ。
18世紀最後の数年でヨーロッパに驚異的な力を見せつけ、1804年には皇帝を戴冠。1812年にはほぼヨーロッパ全域がナポレオンの手中に収められていたともいえる。しかしこの1812年のロシア侵攻の失敗から次第にその力は衰え、1814年に皇帝退位。同時代を生きていた芸術家のひとりベートーヴェンは、他の芸術家、文化人と同様ナポレオンの歩みに対して崇拝もし、また嫌悪もした。そしてそのあり方を自己の中で認める是非に揺れ動いていた。1803年の秋にベートーヴェンは交響曲第3番に取り組んでいたが、この年の10月22日の手紙にも、また楽譜の表紙ページからも「この作品をポナパルトに捧げることを切に願う」というベートーヴェンの意図は確実にあったようだ。しかしオーストリア領はナポレオン率いるフランス軍と戦闘を交え敗戦の時期。ベートーヴェンとそれまで深く関わりのあった時の神聖ローマ帝国最後の皇帝であり 後のオーストリア皇帝フランツ2世にとってはむしろ敵側にあったのだが、それでもナポレオンの当時の躍進に未来の社会の姿を見ていたようで、ベートーヴェンとしては珍しく個人の名前「ポナパルト」を作品に命名しようとしていた。縁のあったフランツ2世への数々の献呈作品には、いずれも名前は明確につけていないベートーヴェン。そのあたりの事情はいろいろ複雑な様子。1804年には「ポナパルト」という作品への命名は取り下げたが、それでもナポレオンへのある種の崇拝の気持ちは失っていなかったと伝えられている。大きく変化する時代の中で、ナポレオンの姿に改革の同志として自らを重ねる人が多かったそうだが、ベートーヴェンもその一人なのだろう。しかしベートーヴェンは1821年に死去したナポレオンに対して「すでにこの破局のために音楽を書いた」と言ったと伝えられている。それが第2楽章の葬送の曲であるのか、もっと深い仕掛けが交響曲全体を覆っているのか、筆者は今回改めて楽譜を見直しながら取り組んでいる。三和音を叩きつける開始と不協和音を執拗に重ねる第1楽章、ユーモアと激しいドラマを感じさせる終楽章の始まり。この二つにはベートーヴェンの時代への眼が感じられると思っている。
 
作曲家は作品を生み出す時に、自分の内なる声を聞き、自分を取り巻く外界の音を聞く。
作曲家であり指揮者であった故鈴木行一氏。昨年9月の急逝の衝撃は自分の中でまだ大きく残り、
今回のリハーサルもどこかでいつも先輩の背中を見ていた。
自分が高校3年生の折に教育実習生として鈴木先輩はいらっしゃった。高校在学中からこの淡交フィルの活動には少し関わらせていただいていたので、先輩のお姿には接していたが、この実習期間はあらためて鈴木先輩の音楽への情熱に触れる機会となったことを良く覚えている。当時少し長い髪をピンで留めていらして、よく響く声で我々後輩をご指導くださった。音楽のどんな側面も本当に楽しそうに説明してくださる。それは淡交フィルのリハーサルでもそうだった。
そこには作曲家同士、「何が聞こえたのか」「何を書きとめたかったか」その問いかけの会話をリハーサル時には我々に示してくださっていたと思う。音の意味を探求し理解して共有できた時の喜びが、リハーサルの笑顔だった。
現在、厳しい状況の日本はどんな音楽を必要としているのだろう・・・鈴木先輩なら どのような音を求めただろう・・・200年前の作曲者達も時代の激しい嵐を体験している。その中を生き残ってきた作品達を現代の我々はこうして共有できる。
この先100年、200年先の人にこのバトンを伝えるためにも、また新たな響きを残すためにも、世代を超えたこのOBオーケストラで本日は大事に音を紡いでゆきたい。時の足音をたてながら。(了)

 

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