アンサンブルフラン ウィンターコンサート2011コラム

ウィンターコンサート2011によせて    新田ユリ

 
「コンポーザーの仕分け作業」
 
2010年に賑わった「仕分け作業」は芸術文化事業に大きな影を落として2011年にその作業は継続している。「無駄を省いてスリムに」の精神はおおむねどこでも歓迎されるテーマだが、こと「無駄」の定義があいまいになるこの芸術文化の分野においては、このテーマは人気がない。そもそも表現に関わる分野は、伝えるべき内容を「原子核」とすれば、それをどのように核分裂させ光を放つか・・が本質であって、「核」だけ残せばという究極の理論は無意味だ。
 
 自分のエイノユハニ・ラウタヴァーラとの出会いは、「Cantus arcticus 極北の歌 1972」から。フィンランドと日本でそれぞれ拝聴している。そこにはフィンランドの哲学が聞こえた。すなわち自然の一部である人間というポジション。そしてこの作品が生まれるほぼ同時期にピアノ曲から弦楽合奏に編曲された(原曲は1952年作曲)「Pelimannit楽士たち」はアンサンブル・フランと2002年に共演している。その2002年に国立音大ブラスオルケスター定期演奏会で演奏した「Annunciation 1976-77」は日本初演。そして昨年6月アンサンブルフランの定期演奏会で「Epitap for Bela Bartok 1955-86」を演奏。
 本日のメインディッシュの作曲家ストラヴィンスキーとラウタヴァーラには共通項がある。ストラヴィンスキーはご存じのとおり89歳の人生の中で作曲スタイルが変遷していった人として知られている。原始主義~新古典主義~セリ―主義。ラウタヴァーラも同様で、フィンランドの作曲界の大御所として今なお健在の83歳。その人生の中で作曲スタイルは大いに変容。前衛主義~構造主義~直観主義~ロマン主義&神秘主義・・・。(「おっしゃることがコロコロ変わって・・」と国会中継で野党議員が叫んでいたシーンが一瞬浮かんだ。)ちなみに本日演奏の「ミューズを率いるアポロ」が生まれた年にラウタヴァーラが生まれているのも何かの縁か?
 今年没後100年のマーラーと没後40年のストラヴィンスキー、二人の生年はわずか20年の差。しかしこの人生の長さの違いはストラヴィンスキーのスタイルの変遷にとても関係があると思う。20世紀は変化のスピードが速かった。地球上いたるところで価値の変容があった。生き方の仕分けなるものを個々人が行っていた節もある。
 ストラヴィンスキーの数多く記録されている言葉の中に、「アポロ」作曲当時のものがある。「古典舞踊のもつ線の美しさに感嘆し、厳格な形式を持つバレエを選んだ。多彩な色彩や過剰な装飾を排した<白いバレエ>にこの芸術の本質が明確に表れている」厳格なるもの、無駄の排除、それらの姿勢は作曲スタイルが変化してもストラヴィンスキーに貫かれていた主義だったと思う。原始主義のリズムの核の選択への鋭敏な感性、新古典主義での言語と音楽の距離の選択と多言語を操った作曲家ならではの言語そのものへの感性、そして晩年のセリアリズムという<数>的なものへの思考。そこにはある種の「仕分け精神」を感じる。音楽は何も表現しないとしたストラヴィンスキーの姿勢を解読すると、混沌とした人間の内側はすべて「仕分け対象」なのかもしれない。
一方ラウタヴァーラの作曲技法としての特徴はまぎれもなく「多用される2度音程の連続」。スタイルを変えてもその本質的なこだわりは消えない。そしてラウタヴァーラの作品にみられる、拡散と集約の響きの連続、集約するときにこの二度音程でぶつけた「旋律」が度々登場する。そこには緊張感とともに「混在」がもたらす安心感のようなものを自分は感じる。「仕分け切れないもの」「未解決なもの」「不純物」いろいろな表現ができるが、あえていうと解明されていない「宇宙」そのものが見える音楽、または音響をラウタヴァーラのいずれの作品からも受け取れる。音楽的な価値はそのスタイルによって判断されるものではないが、同じ人類である作曲家たちが どうしてこうも異なる世界を「音」の素材を使って見せてくれるのか・・・その神秘的な作業過程を考えるだけで、「理解できないもの、すなわち無駄」「結果の見えにくいもの、すなわち不要」とはとても言えないと凡人の自分は思っている。
どうやら現実社会の「仕分け」はポーズであり、他の目的の序曲であったようだ。本日のプログラムは、人類が守り育て、次世代につないでゆくことは何かを、もしかすると感じていただける作品たちかもしれない。
そういう演奏になると・・よいな。   了
 
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