京都市民管弦楽団定期演奏会によせて

 「子供の不思議な角笛」民謡詩集は19世紀初頭に編纂。この作品に1890年前後に出会ったマーラー、叙事詩<カレヴァラ>に触れクッレルヴォ(1891年)を書いたシベリウスと時期的に重なる。<角笛>文学が中世ゲルマンへの憧れ、ロマン主義を世界観とするならば、<カレワラ>はロシアの統治下、民族の独立心につながるフィンランドの国民的文学。マーラーに5年遅れて生まれたシベリウスはベルリン、ウィーンに留学し、ブルックナーの第3交響曲に大きな刺激を受けた。この第3番をピアノ編曲したのはマーラー。そしてクッレルヴォから8年後に第1番の交響曲をシベリウスは作曲する。

 この二人の交響曲作曲家は生前から音楽界で名声を得て、一方はフィンランドの<国民的作曲家>として、一方は音楽界の中心を闊歩するマエストロとして、作曲と指揮活動に共に力を発揮していった。二人の接点はシベリウスが交響曲第3番を、マーラーが交響曲第8番を書き上げた頃にやってきた。

「私の聴いた曲の一つについていえば、ごく通俗的なまがいものの節回しが例の<北欧的>な和声とやらいう国民的ソースをまぶして料理されていた」(マーラーの思い出 アルマ・マーラー著酒田健一訳)
ロベルト・カヤヌス指揮のコンサートにシベリウスの“春の歌作品16”そしてアンコールに“悲しきワルツ”が並んだ。それを聴いたマーラーの言葉である。1907年10月の終わり、マーラーはカヤヌスのオーケストラ(ヘルシンキフィルの前身)を指揮するために初めてヘルシンキを訪れていた。シベリウスついて「祖国愛に満ちた人物で好感が持てる」と評するものの、「国民楽派といわれる作曲家は皆一様な面持ちをしている」と手紙の中で皮肉交じりに続けている。そして二人の会話が交響曲の作曲に触れた時、「それは厳格な論理により、それぞれの動機の内的連携が創られてゆく」としたシベリウスの言葉は「すべての世界をそこに含み持つ」と作曲哲学を語ったマーラーと溝を生んだ。

そして更にマーラーシベリウスの作品を演奏するときに何か望むことは・・・と問いかけたのに「別に」と答えてしまったシベリウス。その背景にあったのは内向的な性格とマエストロへ遠慮。様々伝えられることから、この年の二人の出会いは好ましいものではなかったと評される。

後年冷静さを取り戻しながらもシベリウスは度々この年を振り返る。その一つに1910年交響曲第4番を作曲していたシベリウスは9月6日の日記に、交響曲かくあるべし・・の文章を綴り最後に
「・・・Mahler, Berlioz、bah!(ふん!)」と怒りを込めて書いているようだ。

 確かに世の中の現象を楽器を駆使して盛り込んだマーラーの世界と、省エネともいわれるオーケストレーションながら、自然と宇宙の摂理をも感じさせる深遠な世界を描いたシベリウス。両者の音楽観は非常に異なるように思える。しかし二人とも交響曲と同時に歌曲にも力を注ぎ、一方オペラは主眼とせず、その交響曲に明確な哲学を持って独自性を生み出した点、二人から距離を持って見ている現代の自分からすると、ある種の<同士>の姿を見る。そして演奏会冒頭のバーンスタイン。作曲家であり指揮者。そしてマーラーの演奏、シベリウスの演奏ともに語り継がれる名演が記録されている。
本日のコンサートは、時代を超えて
3人の作曲家が存分にその世界観を語ってくれるものとなると思っている。

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