「祈りのレ―Re」
ヒッグス粒子発見のための壮大な実験が始まった。宇宙の始まり解明へのまた一歩踏み込んだ内容だそうだ。自分には理論はまったくわからない。それでも一つ言えることは、宇宙の成り立ちの秘密に迫るものの存在を人類は大昔から知っていただろうということ・・・感覚的に、経験的に。
ギリシャ時代の数学者ピュタゴラスは音程数比を研究した。そしてそのピュタゴラスを祖とするピュタゴラス学派は「調和―ハルモニア」という考え方を提唱した。すべての根源に数理的原理があるというもの、その先には 音楽は宇宙の秩序を内包する・・・この考え方があった。
ヴァイオリン協奏曲 ニ短調、交響曲第6番(ニ短調)、カッコつきのニ短調の交響曲第6番は、ドリア調。レ(re)の音を開始音として始まる音階を基本とする教会旋法の一つ。現代の長調・短調という音階が成立する前に、ギリシャの時代には7つの音階、その後8つの教会旋法ができた。現代のドリア調は後世の教会旋法の中の一つ。一番わかりやすい例は、「グリーンスリーブス」の旋律。♯も♭もつけずにレの音から上ってゆく音階でその旋律はできている。交響曲第6番も同じ。どこか似た雰囲気を感じる人も多いと思う。レの音から始まる音階は2番目~3番目(ミ―ファ)、そして6番目~7番目(シ―ド)の音の幅が半音になっている。また主音に戻るひとつ前、7番目の音から主音へは全音の幅を持っている。導音は半音という長短調の調性とは大いに性格が違ってくる。
ニ短調という調性には「不安、荘厳、崇高」という性格があると分析されている。よく知られた作品には、モーツァルト「ドン・ジョバンニ序曲」ベートーヴェン「交響曲第9番」、シューマン「交響曲第4番」ブラームス「悲劇的序曲」、シューベルト「死と乙女」、ブルックナー「交響曲第0番、第3番、第9番」、フランク「交響曲」ドヴォジャーク「交響曲第7番」 ・・・確かに気高く、そして美しい悲しみという表現が似合う作品が並ぶ。シベリウスの作品では「弦楽四重奏Voces Intimae」、ラカスタヴァ(弦楽合奏版)の1曲目もニ短調。
シベリウスのヴァイオリン協奏曲がニ短調であった理由はなんだろう・・・と考えてみた。憂愁のト短調や素朴なイ短調、はたまた陰鬱なロ短調という調性ではなく、崇高なるニ短調の選択には昨年取り上げた交響曲第2番のニ長調にも通ずる何か絶対なるものへ憧れを含む魂を想像できる。
シベリウスは子供のころからヴァイオリンの演奏が好きだった。楽器の学習開始は遅かったようだが、ヴァイオリンを手にして自然の中へ飛び込んでゆくこと、姉、弟とともにピアノトリオ演奏でヴァイオリンを受け持ったことなどシベリウスの人生に親しく寄り添う楽器がヴァイオリンだった。ウィーンフィルの入団試験に不合格であったことはよく知られている。
またヴァイオリンという楽器に性格的な役割を意識していたのかもしれない。弦楽器―リラ、がギリシャ時代に持たされた役割-調和を探求する楽器、一方管楽器アウロスは情念の形、―弦楽器リラの知的な調和という役割分担は、もちろん一面的なものではないがギリシャ時代の人々が探し当てた一つの宇宙の形かもしれない。それを発揮させるにもっともふさわしい調性としてニ短調の選択。あくまで筆者の推測でしかないが、今回のプログラムでは前半後半のメインが作品の成立でも調性でも深くつながりを持っているため、考えをめぐらしてみた。
第2のヴァイオリン協奏曲になるはずの作品が形をかえて完成した交響曲第6番。この作品が生まれるまでの時間は、シベリウスにとって忙しく落ち着かない日々であったことが日記や資料に語られている。1915年の50歳の誕生日に盛大な祝賀会とともに交響曲第5番が発表され、その後第5番の改訂を1919年に終えてから身辺に動きがあった。アメリカからのオファー。イーストマン大学からの招聘の話があった。少し気持ちが動いたシベリウスだったが最終的に断っている。そして1921年は英国で大成功を収めた年だった。それ以前にウィーンやヨーテボリで冷たい反応を受けた交響曲第3番、4番5番がいずれも信じがたい賞賛をロンドンやバーミンガムで受けた。ヴォーン・ウィリアムスにも面会している。大変にアクティブな日々に見えるが、交響曲はスケッチから進展しない。そして小品が作曲された。踊りのリズムが多く使われているのもこの時期の特徴になっている。その一つは今日演奏される。
1922年に入りようやく第6番の作曲に本格的に取り組むが、1922年4月27日の日記に厳しい自己批判の文章がある、「・・まだやらねばならぬことがたくさんある・・私たちはみなが過去を向いている時代に生きている・・私のオーケストレーションはベートーヴェンよりも良く、テーマだって彼より良いものを持っている。でも・・・彼はワインの国に住み、私はカード(凝乳)に養われている」どちらかというとやるせない気持ちが伝わってくる文章だ。英国での高い評判やアメリカからの誘いがあっても、実際シベリウスの作品や演奏への評価はヨーロッパ内でも不安定なものだった。またフィンランド国内にも背を向ける人はいたのだ。
そんな中、最愛の弟クリスチャンが不治の病の末1922年7月2日に亡くなった。闘病の間もシベリウスの日記には「耐え難い苦しみ」という言葉が記されている。この時期やはり交響曲の筆は止まっていて、その代りピアノ曲の小品などが作曲された。作品99の8つの小品、簡素な美しさが魅力の作品だが、とても物悲しい「Souvenir」「Couplet」は内なる声との対話のよう。
「ドリア調」の話に戻る。「ドリア調」は、別名平安の調と言われている。「平穏、静寂、優美、控え目」そのような特徴を持つとされている。主音に戻るときの全音間隔が穏やかな雰囲気を伝えることはよくわかる。シベリウスが第6番に「ドリア調」を持ってきたことに、自分なりにいくつか理由を推察している。何よりシベリウス自身の作曲人生において、まもなくペンが止まる時代に入る入口だったこと。外見は静かだが、相当に葛藤と焦燥と苦しみが内部で始まっていたと思う。フリーメイソンのロッジに入ったのもこのころだ。そして弟を失ったこと。この内的条件が教会旋法のドリア調を選ばせた一因だと思っている。Recover, reacquire,react,reactivate,rebuild….きりがないが、re という接頭語は再生や再帰を意味する多くの言葉を生む。ギリシャ時代数学―音楽―医学は密接につながっていて、内なる世界の整理整頓に音楽が使われていた。調和の回復。Restolation, Re -レなのだ。昔の人は繊細で敏感だった。旋法の違いに宇宙の秩序を感じていた。そこに明確な数式の理論があることもわかっていた。
Re-レ が生む今日の響きはどんな天体と共鳴するだろうか、そして未来を呼ぶだろうか。
1年前の大震災から日本全国で再生が始まっている。きっと静かに耳を澄ませてみると、おのずと人類の歩む道を教えてくれる声が聞こえてくるのだろう・・・Re を聴こう。Reに祈ろう。