アンサンブルフラン第37回定期演奏会コラム

「ジャンとカール」

 

時は195792×日。

「ヘイ、ジャン、待ってたよ・・」

「元気にしていたかね、カール君」

「もったいぶって・・・やめてくれよ、同級生だよ、俺たち、同じ1865年生まれじゃないか」

「でも君は、66歳と4か月、わたしは91歳と9か月の姿さ」

「君は、ずいぶん長生きしたなあ・・・」

「私の方が大病患ったのにね。でも君が天国に行ってから私は大きな作品はついにかけなかったよ。」

1931年か・・・大変な時代の始まりだったな・・・ところで、こっちの世界に来た早々で悪いけれど、

君ウォッカ持ってこなかった?」

 

1865年生まれの同級生作曲家であった、カール・ニルセン、ジャン・シベリウス、65日生まれのカールが少しお兄さん、128日生まれのジャンがフィンランドのハメーンリンナに生まれた頃、カールは貧しいながらも暖かでそれぞれに楽才を持つ両親のもとフューン島で育てられていた。カールの父親は楽師として家を空けることも多かった。リズムに特別の才を持ち、ダンスが得意。母は美しい声で貧しい日々を歌って慰めていた。両親の楽才は紛れもなくカールの作品に現れている。

 

時は2014615

「僕たち、幼いころ苦労していたよね」

「私の父は、私が2歳の時に、あっけなく病に倒れてしまった。母は3人の子供を抱えて相当に大変だったようだ」

「うちは幸い両親とも元気だったけれど、収入がなくてね、隣の農家にはずいぶん助けてもらったよ。僕が軍楽隊に入隊してからは、お駄賃も入ったしね。」

「君はラッパを演奏したんだってね」

「コルネットやトロンボーンをね、そしてヴァイオリンも」

「私もヴァイオリンは幼いころからの憧れだった、森に出かけて行って自由に弾いたものさ」

「僕は子供のころ入隊していた楽団で、ハイトーンを1分も吹き続けられたんだよ。おかげで昇進してさ」

「そういえば君はコペンハーゲンの音楽院に入学した時は、ヴァイオリンで入ったんだね」

「うん、作曲の試験も受けたよ。その時はあの、ニルス・ゲーゼ大先生にも作品を見てもらったんだ。1866年に王立デンマーク音楽院が創立されたときの創設者の一人さ。メンデルスゾーンに教わってゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者にもなった先生だからね、僕たち北欧音楽家のお父さんみたいなもんだね。僕は1883年の5月に試験を受けたんだ。ヴァイオリンはうまく弾けたんだけど、そのあと自分のクワルテットの楽譜を見てもらうために先生の自宅に伺ってさ・・緊張したよ。『君はいいセンスを持っている、ヴァイオリンの試験に通ったら、作曲も音楽院で勉強することを認めよう』って言ってくださった。」

「ゲーゼ氏は、ライプツィヒの音楽教育を我々にしっかり伝授してくださったね、厳格な方だったが独創性もあった。君の独特のセンスを見抜いていたのだろうね。今日演奏される曲は、卒業してからのものかね」

「そう、1886年に音楽院は卒業したけれど、あちこちのオーケストラにエキストラで出演して働きながら、ローゼンホフ先生について作曲の勉強は続けていたんだ。」

「作品1とついているけれど・・・」

「この曲の前にも小品は書いているよ。出版された最初の作品で、これを作品1としたわけだ。そうそう、出版社はどういうわけか、僕の作品を『Kleine Suite』と名付けてしまったんだよ。僕はそんなこと一度も言っていなかったのにね。だから世界でこの曲は「小組曲」で有名になっている。最近出回っている僕の新全集ではようやく訂正されていたよ。『それ、違うんですけど・・』ってずいぶんここから叫んだからね・・」

「私の作品も今、ブライトコプフ社が新しく全集を作ってくれているよ。私の子孫が1982年にやっと資料を表に出してくれて、まあそこから大忙しでたくさんの学者がいろいろなことを直してくれている」

「君の曲は深遠なタイトルだね、Intimaeってラテン語だね、深く、内側にという意味かな。」

1909年、私が44歳の作品だが、その前の年に喉の腫瘍切除の大手術をしてね、それが何度も再手術を受けて、さすがの私も自分の未来を案じたもんだ。」

「僕も人生の深刻な時期はあったけれど・・・まあ、君の深刻さとはちょっとニュアンスが違うね、あまりほめられたものでもないし・・」

「なんだい、珍しく暗い顔をして・・君の長所は社交的でエネルギッシュなところだろ」

「それも行き過ぎると・・・。最近秘密が少しずつ世間に知られてきてね・・生きにくい世の中になったもんだ・・・」

「・・・・・・・・・・・・・」

「君も僕がこっちに来てから、ずいぶん奥さんと喧嘩していたようだね」

「・・・・・・・・・・」

「あんなに酒を飲んでいたら、やっぱり奥方は心配するだろう。」

「私は大変なあがり症だったのだよ。昔から学校ではうまく弾けても、人の前ではどうしても駄目だった。ウィーンフィル入団試験に落ちたのもそうだ。自分の曲を指揮するときも本当はとっても緊張していたんだ。だから・・・」

「でも、君が演奏家ではなく作曲に専念したおかげで これだけたくさんの人が喜んでいるんだよ。そろそろそのウォッカから手を離して・・・もうお酒の力を借りなくてもいいだろう、ここではさ」

 

さて今日は、23歳のカール、44歳のジャンの当時の顔を思い浮かべながら、正反対の性格を持つ同級生作曲家の作品をお楽しみください。そして彼らを生んだ北欧の地から、その響きをまっすぐに届けてくださるソリストの美しい音色もご堪能あれ!現世でも北欧音楽協会の会合で時折顔を合せていたジャンとカールの天国の会話、次のテープ起こしをお楽しみに!(了)

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