道民オーケストラ・ワークショップコンサートによせて

「ドイツとフィンランドの橋」

10年前フィンランドでの研修時、一番初めに接したフィンランドの作品は実はウーノ・クラミ(1900-1961)。作品は「カレワラ組曲」。華やかで、フランスの影響を受けていることが明白。本日プログラムに取り上げた「チェレミス幻想曲」も同時期に現地で聴いている。チェレミスはヴォルガ地方の民俗。その音楽はハンガリーやアジア音楽同様の五音音階体系が見られることを、作曲家ベラ・バルトークが研究している。
シベリウス(1865-1957)の影響から脱したシベリウス後の作曲家として評されるクラミ。
この二人の人生でおよそ世紀を跨いだ100年間のフィンランドの音楽界を見渡すことができる。
 
フィンランド国歌「Maamme(Vårt land)わが祖国」の作曲者は実はドイツ人のフレデリク・パシウス。
ヴァイオリニスト・作曲家のパシウスはストックホルム王室楽団の団員として1828年に招かれた。
それはベートーヴェンが亡くなった翌年にあたり、その後1835年にヘルシンキ大学で音楽教師としてフィンランドに渡り、フィンランド音楽界を組織してゆく。
フィンランドとドイツのつながりはこれより少し以前、モーツァルトが亡くなる1年前の1790年、昔の首都にトゥルク演奏協会が設立され、フィンランドへ中欧のクラシック音楽の導入が盛んになったことに始まる。当時フィンランド生まれの作曲家による作品も生まれていた。しかし、最近までその当時の作曲者を知る機会はフィンランド国外ではまれだった。その理由はただ一つ、大樹シベリウスの存在。この大木が育つ以前、あるいはその木陰に隠れていた同時代の作曲家は近年になり作品の発掘と紹介が盛んになっている。
 
ドイツとフィンランドの作曲家が並んだ今回のプログラム。19~20世紀を跨いだヨーロッパの民に想いを馳せて演奏してみたいと思う。
 
シベリウス3曲の中で最も早い時期の「エン・サガ」(1892年作曲・改訂1902年)はクッレルヴォの大成功の後、アイノ夫人を迎えた若さあふれる時代。当時の若者はフィンランド独立の歩みにつながる文化的な活動に情熱を持っていた。そして「春の歌」はその美しさは初演当時称賛され、再演も多く1900年のパリ万博でも紹介されている。「愛の歌~歴史的情景第2番より」は1912年に生まれている。1911年完成の交響曲第4番を始めとして同時期の作品は「死」が背景にある。シベリウス自身の健康不安とともに独立前、大戦前の時代を背負い更に内向的にそして深遠な音の世界を求めていた。この「愛の歌」も静かな魂の告白。

 そして一方ベートーヴェンである。自由、平等、自己犠牲、独立・・・1787年完成のゲーテの悲劇から音楽に翻訳したメッセージは、ベートーヴェンの他の作品同様その精神への賛美に溢れている。作品内容の詳細は別紙に譲るとして、今回のプログラムを貫いているのは「民の心」。音楽家たちは自国他国に関わらず、時代をまっすぐに生き抜く民の魂を音にしている。
それは
200年たった今でも解説者・翻訳者を必要とせず我々の心に届く。

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