梅写真日記のようになってきましたが、どんどん咲きます。もうひとつの種類が日当たりの違いのためか開花が遅れております(>_<)
昨年だったか、とある雑誌の中でこの「クオリア」の言葉をみつけて、やっと自分の内部の漠然とした思考に言葉を得たという思いをしました。8年ほど前から研究も盛んになっているようですね。もっと早く出会いたかった・・。
先日再びこの方の(茂木健一郎氏)文章を拝読。人類の存在証明ではないですが、そんな意識で私はこの言葉と今後少しお付き合いをしてみようと思います。音楽に限らず芸術一般の大本・・・かもしれません。
こちらが研究のサイトです。内容は多岐にわたっているので興味のある方はご覧ください。
明後日東京新聞に掲載される紙面原稿のチェックが進んでいます。あの拙い話を見事にまとめてくださっているプロの仕事に感服している次第です。アンコールのアンダンテ・フェスティーヴォまでの時間がすべて掲載になるとよいのですが・・・(^^ゞ
あの日フィルの皆様の燻し銀の響きは記憶に残ります。
それにしても、アンダンテ・フェスティーヴォは一体何回演奏しているのやら・・一度きちんと数えてみようか。少なくともアイノラ交響楽団では毎回リハーサルの時に音を出します。何度演奏しても皆さんの心に残る作品ですね。演奏会にいらしてくださる方にはおなじみの作品になったかもしれません。北欧のプログラミングの時はアンコールとしてよく取り上げます。弦楽四重奏の方もお勧めです。ちょっと楽譜が違いますが。多くの人にお届けしたい作品のひとつです。
素晴らしい作品が世界にいっぱい!
コメント
コメント一覧 (6件)
クオリア、とても面白い考えですね。茂木さんの本も結構買い込んでしまいました。
「北欧」とか「シベリウス」とか、「新田ユリ」とか、脳の中で立ち上がるクオリア、大切にしたいと思います。
>みなみさん
お!すでにリサーチ済みでありましたか。でもこれは特に古の日本はそれがいろいろな芸術分野に表現されているように感じます。言葉もそうかな・・・・リハーサルでよく使う言葉の感覚もこの辺からきていると自分は思います。長い短い強い弱いだけでは成り立たない音の世界だから。でも昔、それだけ言えばよい!という大先輩もいましたが・・・(>_<)
「アンダンテ・フェスティヴォ」。正直言うとあまり好きになれない曲なんです。なんか取り澄ました、よそ行きのシベリウスだから? あるいはそのように演奏する人が多いからでしょうか? ピアノ曲の「ロマンティックな風景」op.101-5のような老人の繰り言・昔語りの趣とは対極にあるんですね。個人的な勝手な感想です。
>junsinさん
なるほど・・おっしゃることわかるような気がします。ある目的のために使われることを意図して書かれた作品ですが、「ハレ」というものが少し見えるのでしょうかね。取り組む方も実はちょっとその辺が難しいのですが・・・でもシャイなシベリウスの顔も隠れ見えます(^^♪
突然の書き込み失礼します。アンダンテ・フェスティーボと聞いして筆を取りました。あの曲は思い出の1曲でして。
学生オケの頃、メインがシベ2のアンコールで提案されましたが皆に却下されました。というのも「あまりにもいい曲過ぎて演奏中泣いてしまうため演奏に支障が出る」という弦楽器の反対があったからです。
こんなエピソードを思い出しました。
振っていて目が曇ることはよくあります。よい流れになると大地の神があらわれるような感覚をもちます。今度演奏の機会があるとよいですね(^O^)