アンサンブルフラン2009ウィンターコンサート コラム

 

「あるホモサピエンスの悩み」 新田ユリ
 
あの楽譜はショックだった。今年初めの仕事で演奏した序曲「フィンガルの洞窟」ブライトコプフ新版、そしてベーレンライター版。あるべきメロディがない。メンデルスゾーンの作品。曲の冒頭7小節目の話である。確かに演奏しにくかった。ある種の違和感。メンデルスゾーンにしてはセンスないような言葉の多さ・・・・そんなものを感じていた。見事にばっさりと2拍分空白。そしてその音楽の景色はまったく変わった。若き20歳のフェリックス君が見たであろう、ヘブリーデス諸島のスタファ島の洞窟に向かう海と空の色がくっきりと浮かび上がったのだ。少なくとも自分はそう感じた。この2拍の空白の出現が作品全体の流れを変えた。言い換えれば作品への理解を変えた。そう、創作したのはメンデルスゾーン。今はもう質問することができない過去の人。
「君は何を考えたんだ?」「初めのスケッチにはあったじゃない」「この休符はなに?」「スラーがここにはあって、あちらにはないけどいいの?」再現芸術に携わる音楽家は皆等しくこんな質問の数々を過去の時空に向かって投げかける。答えはない。
 
19世紀の人はメンデルスゾーンと話をしていた。当人が指揮をしピアノを弾く演奏を聴いていた。その語り継がれた歴史は伝統ある楽団に残り、また文章の記録で残る。しかし音の記録はなく人々の記憶は薄れる。反比例して時間の積み重ねの中で作品を見る客観的な視点が研ぎ澄まされる。想像力も増大する。20世紀は武満徹の言葉を世界が聞き、作曲者も自作の演奏を聴いていた。世界にその記録は残っている。作品へのメッセージはまだ生々しく残り、作曲者を知る人が更に作品のドラマを掘り起こす。
そして21世紀の本日、二人の日本の新しい作曲者の作品を音にする。生きている作曲家と仕事をする。これは過去を旅する仕事とは違うものだと思っている。
 
ハイビジョン特集フロンティア「ホモサピエンス物語~はるかなる20万年の旅」を新年に見てしまった。説明できない現象、理解できない現実に対して沸き起こった内なる感情。その発露に岩壁に描き、空を仰ぎ歌を歌う。芸術の始まりだという。ホモサピエンスが得た能力、創造という芸術。
 

作曲のセンスは皆無の自分は作曲へのリビドーがどのようなもので、創造の根幹は何を背景としているのか想像の域を出ない。現在その想像が作品分析の元となり自分を楽譜に向かわせる。手前味噌のことを申し上げると、こんな自分も10歳頃までは即興演奏が得意だった。楽譜に書き下ろすという大変な作業は一切しなかったが、ピアノの「練習」が終わると、その倍の時間を「勝手な演奏」に費やし、気分に応じて延々と弾き続ける。デパートのエレクトーン展示場で一度それを始めてしまい人が集まった記憶が残っている。おそらくそれが自分にとっての原始的な感情の発露だったのだろう。

 
スコアは設計図であり台本でありまた私にとっては推理小説である。戯曲家が芝居の稽古をしながら台本を手直ししていく。その作業が新曲のリハーサルでも行われる。作品への説明を受けずにアンサンブルとリハーサルを続ける日々。そこへある日作曲者が現れる。彼等は実にいろいろな言葉を残していく。言葉の裏を一方的に要約すると「わかってないね~」「そんなつもりじゃないよ」「もっとちゃんと読み取ろうよ」概ねこのようなところだが、この気持ちの表現方法は人それぞれである。ほとんどの作曲者は演奏者に丁寧に説明してくださる。そして楽譜の変更を行う。その時が本当の勝負である。指揮者は読み取らなくてはいけない。「なぜ変更するのか」「何が原因なのか」そこには創造の根幹に関わる大事な謎が隠されていることも多い。たった1小節の追加でも、それは大いなる自然現象に恐れをなしたときの恍惚感が描かせた岩壁の絵画ほどエネルギーが満載なのである。ホモサピエンスたる理由なのだ。
 
町田さんの「君のいる場所」は仙台の子供たちとの演奏会で出会った。すでに十数年の月日が経過している。異なる言語の国フィンランドでもこの作品は好評、演奏者も幸せな時間を過ごした。懐かしくやさしく響く音はとてもシャープでシンプルな楽譜から生まれている。
喜多形さんの新作の経緯は解説で語られることだろう。モーツァルトを冠した楽章は、我々への挑戦状。ソングではまったく予想が外れたことがリハーサルでわかり、ワイフは現実の的確な表現に拍手喝采。私的な感想では作品全体にシベリウスのエッセンスがまるでパズルのように隠されていると思った。
 
創造への想像は時空を遠く超えているほうが容易いかもしれない。200年前の作者の体験は我々も想像ができる範囲だから。悩ましいのは今隣で創造している素晴らしき作曲者たちが、本当に同時代人なのかという問題。すでに一歩人類の歩みを進めてしまっている人からの創造の産物であったら・・・・。
 
その時は未来の音の世界へ導いてもらおう。またたくさんの謎をもらって・・・。こうして一人のホモサピエンス指揮者は日夜悩み事が増えていくのだ。それを生きる楽しみという。
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