二つの悲報が今週飛び込んだ。

自分よりも15歳も若い人、先月共演したエレティールの母体、電通大の卒業生で何度も共演している。
爽やかなチェリストだった。チェロもなかなかの腕前だった。彼が大学現役の頃からの縁。
熱心で、そしてその人柄は本当に素敵だった。
弟子の佐伯君がとても親しかった。当時みんなでよく遊んだ。まだまだこれからの世代、残念でならない。

4年前にノルウェーのクリスチャンサン交響楽団との共演の時にお世話になったエリナさん。
当時事務局として私とヨウコを迎えてくださった。初めてのノルウェーでの仕事だったが、暖かなサポートで気持ち良い仕事ができた。そのエリナさんが10月に突然自宅で亡くなっていたというニュースが流れた。
ヨウコが知らせてくれた。衝撃だった。

音楽が縁の二人の素晴らしい命が去ってしまった。哀しみは深い。
心からご冥福を祈ります。どうか天国で安らかな楽の音とともにありますように。

このところ巷のニュースでは「命」を実感していない者による残虐な犯行が繰り返し報道されている。
そのことに怒りと哀しみを覚えるとともに、報道の在り方にも大きな疑問を感じている。
日本の裁判員制度が変わってから、この報道の在り方と国民の犯罪への意識の変化がこの数年できっと大きな問題になると思っている。
以前エッセイにも少し書いた記憶があるが、この裁判員制度の変化は日本人のメンタリティを大きく変えてゆくと感じる。それも一つの目的なのだと思うが、その変化が表面的な一つのショーに終わってしまうことのないように・・・と、いつかは自分にも振りかかることであろうから懸念している。

昨日の報道では「事業の仕分け」が大々的に映し出されていた。
個人的には「文化庁・文科省」案へのコメントが矢のように心に突き刺さっている。
あくまでニュースに流れたほんの一瞬のコメントだけだったが・・・

先日の津田塾大学講義の折、担当の先生と最近の大学の変化についてお話をした。
「成果主義」「目に見える形での評価」「評価を数字で」ということが顕著になって、いわゆる研究部門や我々のような目に見えにくい部分の教育や研究は非常に難しい立場になろうとしている。
そんなことにも関わってくるようなコメントが「仕分け人」の口から飛び出していた。

一言、私は「恐ろしい世の中になる」と感じた。

大いなる無駄と怠惰による蓄積された罪は追及されるべきだと思う、
しかし本当にすべてが即座な「判断」のもとに価値の決定を行われてよいものかどうか。
そのことへの見識あるチェック機能は誰がどのような形でなすのか・・・
国民はそこへも目をむけていなくてはいけないと思う。
多くの支持を送り任せたのだから、「後は頼む」では前政権と全く同じことになる。

国民参加を呼び掛けている現政権なのだから、本当にそういうシステムを積極的に作ってほしい。
現実にはどんどん逆の方向へ動いているのが見えていて、個人的に大いに案じている。
老婆心であってほしいが・・・・。

住みやすい国、経済的な力・・・・様々な点で北欧諸国は現在世界のトップの数字を示す位置にある。
その数字が示す意味はそれぞれの国民がよく知っている。何も苦労しないでパラダイスはあり得ないこと。
表に出てこない厳しい状況も当然あること。大学教育機関も厳しい状況だ。
それでも「良い国だな」と思う理由は、何を大切にしているか・・・その価値観の根っこ。

夢物語ではない現実の社会で自国民を大切に守ること、そのこと即ち他者への優しい心も持つこと。
そこがイコールになる哲学と価値観と力とノウハウを持っていることが大いに違うのだと思う。
垣根を取り払いみんな同じになることがすべての解決になるわけではない。

違うということを理解し認め、共存共生する道を様々な立場や価値をもとに探っていくことが必要な世界が地球上に広がっている。

結局は人を育てることが良い国を作る基本であること・・・・そのことはフィンランドは早くから提唱していた。
だから現在教育大国と言われている。

教育と一口に言っても何を成せば「教育の成果」が上がったとみなされるのか・・・
数字に出せるものなのか・・・テストの点数がみんな上がれば万歳なのか・・・・

もちろん「否」

教育に関わる多くの人が様々なことを言う。

個人的には「そんなもん目に見えるはずがないでしょ・・・」と言いたい。
永久に形にはできないものだと思う。

才はあってもそれを育てる心がなくては・・・・・・・昔父が言っていた。

日本はどうなってしまうのか、
命にかかわる知らせが続くこの頃、心底心配になってきている「ひとりの指揮者」である。

社会への眼は音楽作品への眼でもある。
作品を作った人の眼差しはあらゆる方向へ向いている。
演奏者も同様に音符の裏側を、音符の背景を見ていなくては片手落ちだろう・・・。
音が何を語っているのか、若い学生たちも一緒に考え感じてほしい。
本日手がけた吹奏楽の作品も、音の並びだけで終わらせではいけないものたちばかり。
音の遊びは頭を燃やせ!

長くなった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 私も日頃いろいろな事を考え、これから先が心配に感じています・・・
    確かに今の報道に対して疑問を持たずにはいられない事ばかりです、凶悪な事件はもちろん、政治の話から人の生き死にに至るまで、この報道で本当に正しく伝わるのだろうか?あまりに現実が見えていないのではないか?作り物やショーじみたことは相容れないはずなのに?と思うことだらけですね・・・そうして、本当に知らなければならない事実が埋もれてしまっているのでは・・・
    命に関しては、僕は常々「自分がされて嫌なことを、他人に出来るはずがない」と思っています。こんな単純なことだけど、日常生活のあらゆる場面に当てはまるし、そう意識していることで、自ずとやって良いこと、悪いことの区別は出来るはずです。私は介護という、人の心と直接向かい合う仕事をしているから余計にそう思うのですけど、世間で起きる痛ましい事件を聞くたびに、人の心はどうなってしまったのだろうと、考えずにはいられません。
    最近、考えて行動に移すということを面倒に感じる人が多くなったのではないかと思うときがあります。自分にとって得になるかそうでないか、楽しいか楽しくないか、好きか嫌いかと、本来様々な答えがあって当然な事でさえ、単純に決めてしまいたがるような傾向が広まっているような気がしてなりません・・・
    いろんな音楽を聴きながら、それぞれの作品が持つ深い世界について自分なりにあれこれ考えていると、なおさら、物事を単純に考える傾向にある時代の流れに対して「そうじゃないだろう」と言いたくなりますね・・・

  • >Masahiko様
    コメントありがとうございました。
    考える力は今とても求められていますね。
    巷にあふれる書物を見てもそう思います。
    介護のお仕事を通して現実と本質に日々向き合っていらっしゃるMasahikoさんは、命の重みをその手にしっかりと受け止めていらっしゃるのですね。
    世の中「簡単に」「手軽に」わかろうとしてしまう傾向はありますね。
    「コツ」や「やりかた」をすぐに知ろうとして、そして手に入れてしまう世の中です。
    自分の命の日々をじっくりゆっくり考えながら歩く楽しみを大事にしていきたいと思う次第です。
    ご意見本当に同意です。私もまだまだ精進です。またこちらもお訪ねください。ありがとうございました。

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