en halua ydinaseet

1945年8月6日・・・この日の恐怖を現実に思い出す人々が年々少なくなる。
今年の平和記念式典は何か「痛切」という心情を強く感じた。
背景には多くのことがある。
現実になっている身近な核の脅威。(フィンランド語で核はydin、 核兵器はydinase)
日本の政局の不安定さ。

一歩間違えば・・・・ということが実際には自分の生きるエリアと隣り合わせであることはとても感じている。

広島に仕事に行くときには、できるだけ原爆ドームの前に立つ。
記念館には外国人の姿も多い。
日本がこれを伝えるべき役割を持っていることは、とても大事なことだと思う。
その上で、これからの日本がどのような姿で世界の中で生きていくのか。
本当に岐路に立っているということを、ごくごく最近の世界のリーダーたちの動きを見ていると感じる。
現実的に何をしなくてはいけないか・・・
その辺の動き方は日本は昔からとても遅い。

世界が日本に求める価値観はすでに激変している。
逆に言うと、日本の役割が変化してきている。
21世紀の地球のために日本の能力をフル稼働する時が始まっている。
思考回路を変えて動き出さないと間に合わない時期になっている。

楽天的ではない自分は、心の底で最悪の状況を想定しながら
できるだけポジティブ思考を絞り出す。自分にとってそれはエネルギーが必要なこと。
でも実際、現在は元気を維持していないとまさに「ダークサイド」に落ちる時代だ。

悲しいかな・・・テレビを賑わす最近のニュース、
「ダークサイド」の華やぎを映している。
誰に心にもあるダークサイドは上手に使えば自分の内なるパワーになる。
しかし、そちら側に巻き込まれたら自滅である。

今目の前にあるシベリウスの曲、
koskenlaskijan morsiamet 急流下りの花嫁 というオーケストラ伴奏の歌曲。
ドラマティックで見事な作品。作品33なので交響曲第1番の前のもの。
なんとこの中には初めの交響曲の原石が見えることか・・・・・。

この歌曲には若い夫婦と水の精霊が登場する。
最後には夫婦は水の精霊の嫉妬により水流の中に巻き込まれてしまい命を落とす。
精霊の一方的な片思いが高じて、花嫁を連れて川を下ってきた男に怒りをぶつけ舟を沈める。
こんな状況、ごくごく最近のニュースにもやたらとある。普遍的な心情心理と言えばそれまでだが、
できることなら音楽作品の中でその想いを存分に歌って、現実には悲しい解決方法は避けてほしい・・・と、
ひそかに思ってしまう。
ヒトという生き物が抱える業を消す必要はない。(近年は持たないヒトも多くなっている)
でも上手に付き合おう。

ヒトは本当に変化している。進化とは言いたくない。

No more Hiroshima
 

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