自然のことを、フィンランド語でLuontoと言う。自然の力はLuonnonvoima。
先週から日本全国で様々なLuonnonvoimaを見せつけられた。
明け方の地震には目が覚めた。すぐにTVをつけると、駿河沖が震源。
情報を見るに、震度6の数字が・・・・
徐々にその被害の様子が分かってきたが、交通機関やライフラインの復旧が急ピッチで進んでいるとのこと。
しかしあの東名高速の崩れ方を見ると、急ぐより強固なものを・・・・と願いたくなる。
この移動のピークに経済的な面でも大打撃なのはよくわかるが・・・。
地震はmaanjäristys。 もちろんフィンランドにはほとんどないという・・・・。
激しい雨のことをsadekuuroというようだ。雨はsade kuuroは実は聞こえない人という意味がある。
激しい雨の中、お互いが聞こえなくなることを意味しているのか??
本当にそれくらい激しい雨だった。
水の力には人は叶わない。水によって生かされている日常、水が持つ力を忘れがち。
西日本は渇水かという予報が確か春先に出ていたけれど、見事に自然はそれを裏切った。
様々なことが影響を受けて生まれ変化する自然の力。誰にも予測がつかず、誰にも責任が問えない。
それでも、備えあれば・・・を、できるだけ進めていかなくては・・・・。
日本の宿命だから。
さて明日から札幌です。週末の公演までシベリウスの日々が続きます。
体内細胞を入れ替え集中するには演奏することに限る。
ということで、16日の演奏曲のスコアリーディングと一緒にシベリウスの小品たちをピアノで弾きまくる。
私は作品99の8つの小品がお気に入り。
作品46は「ペレアスとメリザンド」
「フロレスタン」もチャーミングな曲だ。交響曲第1番の10年前に書かれている。青春まっただ中の作品。
作品75はもちろん素晴らしい曲が並ぶ。私は「白樺」が好き。そして「樅の木」も。
この作品75は16日に演奏する、作品77(1曲目のCantiqueのみ)と同じ年に書かれている。
このCantiqueはオーケストラ伴奏で演奏される機会はそう多くはない。
今回は札響コンサートマスターの大平さんとご一緒させていただく。
以前やはり札響のコンサートで、シベリウスの協奏曲を共演する機会があった。あれからもう7年。
何をかくそう私のデビューコンサート(東京交響楽団)の時にもトップサイドで弾いていらした。
その時が初めての出会いなので、あれから実に・・・・・18年が経過!
先日自宅の片付けをしていたら、当時のステージ写真が出てきた!
16日のメインは交響曲第1番
この交響曲が作曲されるに当たっては、
こちらの方を忘れてはいけない・・・・
エルンスト・ミエルク(1877-1899)
神童として知られ、しかし病弱で短い生涯だった。
ベルリンで演奏された彼の交響曲を聴いて、
交響曲創作への刺激を受けたシベリウス。
ミエルクの第1番の冒頭を聞くと、
それはとてもよく分かる。
でも二人の作風も構成も特徴はとても異なる。
やはりシベリウスはシベリウスという言葉が読み取れる。
16日の演奏曲目は、koskenlaskijan morsiamet(1897) と Festivo(1899)とFinlandia(1899)
そしてsymphony No.1(1899)というように同じ頃に書かれたもの、
そして冒頭のCantiqueが1914年というシベリウスにとっても時代にとっても大きな変化を体験している途中の時代の作品。そんな違いも楽しんで頂けたらと思っています。
第2の故郷、札幌へ。楽しみです!
コメント
コメント一覧 (2件)
今晩は、ご無沙汰しております。
実は私も16日に故郷の北海道へ行きます。ユリさんの演奏会には残念ながら行くことはできませんが、ご健闘を祈ります。
ミエルクの交響曲第一番は好きな曲ですが、遺作?かなピアノとオーケストラのためのコンチェルトもとても良いですよ。特に第二楽章は。実演を聴いて見たいものです。
>加藤博昭様
おはようございます。お久しぶりです。
お里帰りですね。道中お気をつけてください。
ミエルクもいつか手がけたいと思っています。