オーケストラ・エレティール第35回定期演奏会コラム  

Jean Sibelius 作曲 交響曲第2番 ニ長調 作品43 
作曲 1901―1902年 アクセル・カルペラン男爵に献呈
初演 ヘルシンキ大学大ホール 1902年3月8日 シベリウス自身の指揮

 「イタリアへ行ってはどうですか?歌心そして温和で調和に満ち柔軟性と均整のとれた趣があります。そこには美しいものもまた同時に醜いものもあります。イタリアという国はチャイコフスキーやR・シュトラウスにどれほど影響を与えたことか・・・」1919年に亡くなるまでシベリウスを支えたアクセル・カルペラン男爵がシベリウスに宛てたこのメッセージは、交響曲第2番の最終的な性格を決める原動力になったようだ。

 「お母さん、フィンランドを出てから随分過ぎてしまったわ。子供たちはあいにく元気がなくて、手紙もなかなか書けなかったの。」1900年11月4日のアイノ・シベリウスの手紙の書き出し。カルペラン男爵の勧めに従い10月27日には一家でフィンランドを発ってまずベルリンへ。その後1901年1月終わりから2月のころにようやく目的地のイタリア、ラパッロに到着している。ラパッロはリグリア海沿いの保養地でジェノヴァに近い。現在も個人のボートがたくさん並ぶ穏やかな風景がみられる。冬の南欧はこの一家にとって「寒い」とは感じなかったよう。アイノ夫人の手紙には「この土地の住人はとっても寒いって言っているけど、自分にはフィンランドの5月のよう。あまり快適ではないわ。」と1901年2月4日に母親への手紙に書いている。

 イタリアに入った頃、シベリウスにはすでにひとつのオーケストラ作品の構想があった。「オーケストラのための4つの音詩“A Festival”」というタイトルが残されている。これがその後いつはっきりと交響曲へと姿を変えていったかの資料が不足している。1901年11月9日のカルペラン男爵への手紙に、ようやく交響曲第2番という文字が出てきている。交響曲の完成は様々な影響を受け時間がかかっていった。2月14日付けのアイノ夫人の実家ヤルネフェルト家の長男カスペル(一般に長男といわれるアルヴィドの2歳上にカスペルの名前が家系図にある)への手紙にとても重要なことが書いてある。「イタリアの前にベルリンで、リストの“キリスト”(オラトリオ)を聞いたの。うっとりするほど素晴らしく美しかったわ。」この時期の作曲に“キリスト”“ダンテ交響曲”や“ドン・ファン”というモデルが作品に影響を与えていたようだ。そしてイタリア滞在の間フィンランドから飛び込んだニュース、アイノ夫人の義理の姉にあたるエンマが結核で倒れたことがシベリウス自身にも深く死の存在を意識させることになっていた。作曲に没頭する中で、ドン・ファンが死を見る場面を綴りそこにメロディのスケッチが書いてある。これが後に第2楽章のテーマになる。また一方同じ第2楽章の中間部98小節目のFis-Durのテーマスケッチには「キリスト」と記されている。

 難産の末交響曲は完成、1902年3月8日に初演がなされている。“序曲イ短調”“女声合唱とオーケストラのための即興曲”とともにヘルシンキ大学の大ホールで行なわれた。大成功の証としてその後3月10日、14日、16日と3回コンサートが催された。当時のフィンランドは政治的に緊張が走り始めていた。ロシア政府の圧迫が強くなり、それに対してフィンランドの独立への気運が高まっていた。この交響曲のフィナーレにおける音楽的な高揚感はそのまま政治的な意味合いにも受け取られ、当時のフィンランドを代表する作品として演奏回数も多かった。また音楽的には、前世紀からのロマン主義のスタイルで起承転結がはっきりし、最終楽章で最高潮に達する様式はチャイコフスキーの作品からの流れを第1番に続き感じることができる。しかしシベリウスは後年、第二次大戦の頃義理の息子である指揮者のユッシ・ヤラスにこう伝えている「第2番の交響曲は魂の告白だ」・・・
わかっていることはこの作品の完成にシベリウスは「水」の存在を求めたこと。水辺の環境でこの交響曲は形を成していった。

 シベリウスには7人の<Sinfonia>兄弟がいる。上記のように生まれた2番目の息子だけやけにもてる。「イタリア風の風貌、素敵だわ。」「いいえ、彼こそSuomiの精神そのものの顔よ。」皆が思い思いの魅力を語る。1899年には「長男」が誕生。彼はロシア風の面影もあって、若い頃の放蕩生活時代の父親シベリウスを思わせるような激しさが魅力。1907年生まれの「三男」は爽やかで無垢な生真面目さを持つ。「四男」は兄弟の中で一番理解されにくいようだ。1911年に生まれている。いつも世の中を静かにみつめて深い思考に佇んでいる。1915年生まれの「五男」は魂の大きな子、たくさんの人を束ねる強さを持っている。1923年生まれの「六男」はいつも悲しい目をした繊細な子。年子の1924年生まれの「七男」はミステリアスな魅力を持って兄弟すべての性格を引き継いでいる。

 楽譜の話をしよう。第2番の印象的な冒頭のフレーズ。現在は2拍目から始まる。初めは1拍目から書かれていた。指揮者にとってこの違いはとても大きい。おそらく聴衆の立場ではあまり影響がない。

 シベリウスが求めた「水」のフレーズ、水からあらゆる命が生まれ、進化し、歴史を紡いでゆく。この交響曲の全容はそのようなものではないかと感じる。7曲の交響曲の中で第1番に続き作品の中に人間を感じるものでもある。これ以降の交響曲には人の姿は隠されているように思う。カルペラン男爵が示唆した「芳醇な要素を持つイタリア」という国が与えた影響は実に大きなものだったのではないか。
 

目次
閉じる