昨年よりはスケジュールに余裕があると思っていましたが・・・・ノルマの仕事は減っても作業内容はあまり変わらず。どういうことなのか・・・つまりは終わりのない道を歩き続けているという実感が残るばかり。
それは喜びでもあり、また時折訪れる先の見えない恐ろしさというものとの葛藤でもあります。
現在は関西で二つ、今月末の都内での区民オケのリハーサルに通う日々。
そこに音大での授業。そして来月のラボの下準備を初めとして、この先に待つ仕事の仕込み時期。
まもなく、夏の公演のリハーサルも始まる。
目の前と、遠い未来の同時進行の思考は、若いころは不思議なエネルギーを伴ってスムーズに運んでいたが、現在の年齢にたどり着くと、なにやら様々な邪念やらエネルギーの欠落なども影響して 決して簡単なことではなくなってきている。
30代の頃の、先の時間を長く感じていた時と、今の振り返る時間が長く見えている時は、
面白いもので取り組む作品への感じ方も考え方もかなり違う。
それが良い蓄積を持ってそこにたどり着いていればきっと良い仕事が継続するし、そうでなければそうならない。単に懐古的な空気を懐かしみ、偉大な作品たちへの洞察力も探求心もどんどん不足する。
年齢を重ねる=老いではなく、やはり前を見続ける力の減少が老いなのであろうと、時々実感を伴って理解するようになった。
深める、深まることは停滞や立ち止まりではなく、方向をかえた前進。
自分の現状がどうなのかということは、自分では分析できない。それは仕事の結果に対して他者が判断してくださる。
同じ作品を同時期に異なるオーケストラと取り組んでいる今、自分の引き出しの種類、内容、大きさを試されていると感じている。プロであるということはどういうことなのか・・・・どんな現場でも、どんな環境でも、どんな相手でも、必ず結果を出せること。それがプロだと自分は思っている。
相性の良い相手、心地よい環境、望む条件でなければできない!と発言する人も時折きくが、
それはプロではない。ただ、結果の内容、質を高めてゆくこと変えてゆくことのために、身を置く環境を変えてゆくということは、必要なことであろう。それは専門を極める人は皆考えている歩み。
音楽を取り巻く環境、音楽が関わる世界、作るものは今の時代かなり変化して厳しくなっていると感じている。
世界的にすでにある種の豊かさは遠のく傾向にあると思う。地球上のバランスの変化、世界の抱え持つ問題の飽和状態。いろいろな原因があるが、自分がプロの世界に入った時とはまるで環境が違っていると実感する。
音楽が持つ意味、それについては2000年前の世界と距離を近くしているように思う。
とにかく、大きな変化を感じているし、変わらなくてはいけないとも思う。そしてそこには自分も関わる音楽大学の在り方と役割の大変革を求められているとも思う。
自分は小さな存在であるが、だからこそ目を見開いて、耳を大きくあけて、世界をいつも感じていなくてはと思う。
というような「ぶつぶつ」という雑感をいつも持ちながら、目の前の勉強と作業にあたふたとしているだけの
ほんとうにちっぽけな生き方に自身を情けなく思ったり、あきれたりしている・・・・・
そんな姿は子供の頃から全くかわらない。
大きな仕事を成し遂げる人は、やはり視点も異なり前を見る力もけた違いに大きいのだろうと
なにやら最近になって納得し始めている。
小さき者なら、別の歩み方を探そうではないか。
ところで先週関西で宿泊した宿が、宿の都合でとっても広いつくりの部屋に変更になり・・
なんとメゾネット方式というのか、二階がある部屋でした。部屋に入ると階段があって・・・
こんな感じ・・・
こんな階段をみたら、ちょっと撮影してみたくなりシャッターを押したのがこちら
不思議な影ができました。
面白い!
ゆえに、画像編集モードを使って、ちょっと遊んでしまいました・・・・・
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