フィンランドに成人の日はあったかな・・・?
ともかく、成人をむかえた若者の皆様、おめでとうございます!
「何がめでてえんだ」と思う人も多いかもしれない。
大人になるなんて、突然は無理。
結局その覚悟をするかどうか・・・自分で大人になりにゆく。
それが遅い人はいつまでも子供、早い人はティーンでも大人。
自分がこの年齢になって若い世代を見ていると、その違いはとてもよく見えてくるようになった。
私自身はダメな大人の典型。
でも、このまま一生を終わるわけにはゆかないので、人様よりかなり遅れて大人としての責任が果たせるよう、
自分を育てようと新たな覚悟をして●●年。
まだまだですが、毎年、前の年よりも少しはましになったかどうか、この成人の日に自分に問う。
「夢を持て」とよく言うけれど、夢を持った後が大事なこと。それをどのように実現させるか、現実と折り合うか。
その部分で他力本願のままでは、子供の頃の淡い夢へのあこがれと同じ。自分で夢実現への道を開拓してゆくこと、その力をつけてゆくことが学びの道。「夢をみさせる」ことに偏っていた日本のある時期は、少々罪深いと感じている。
道をたどるうちに、不足するスキルはわかってくる。手が届かないと諦めなくてはゆかないこともわかってくる。
その時に別の方向でも自分の力が生かせるのではと、また新たな歩みを始められるか否か・・・そう思考の転換をすることができる力も、一つの大人の姿かなと思う。それを自分で判断できるようになること、大きな成長だと思う。
思い通りにならないことの方が多い。それが当たり前だと納得できたとき、びっくりぽんの明るい道が見えてくる。
今自分は、大学と言う場で成人を迎えた若者たちと接している。
自分の成人の頃と今は全く違う。
彼らが己の力を磨き、可能性をのびやかにためし、己のための大学での時間であることを願っている。
そして大学は、卒業させて送り出すからには、彼らに独り立ちできる力が備わっているという太鼓判を押すところでありたい。一介の講師の自分だが、その想いは20年変わらない。
地球上の激変に想いを寄せない日はない。
特別な力はない自分だが、このままでは22世紀は来ないという恐れは感じている。
産業構造を変えること
日本の特徴を生かした成長の方法を見つけること
足るを知ること・・・
日本は急いで、でも柔らかに変わらなくてはいけないと思う。
戦後70年で世界的に成人を迎えて、厳しい現実に向き合っている・・・・そんな大人になりかけの日本を感じる。
あくまで個人的な印象です。
今年の初演奏会は、群馬交響楽団の皆さんと、太田新田という場所でのニューイヤーコンサート。
今回は、フチーク没後100年を記念、そして先月150歳になったばかりのシベリウスの生誕150年をあらためて、という内容のプログラム。もちろんウィーンのシュトラウスの作品も。群響の皆さんの温かく情熱的な音に支えられて、お客様に喜んでいただける公演になりました。深く感謝しています。
来月に待つ公演のリハーサルも始まっています。2016年は作品のレパートリーが増えます。有難いことです。準備も増えます。頑張ります。
魅力的な大人が増える日本になりますように(*^^)v 自分もあきらめずに成長がんばります~~~
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