書評&コンサート

 拙著の書評が、いろいろな媒体に掲載されていること、出版社の方よりご連絡をいただきました。

大変に有難く、かつ緊張です。

音楽の友6月号、
弦楽専門誌「サラサーテ」
音楽現代7月号
ぶらあぼ6月号
産経新聞

本日あらたに、「週間読書人」という 新聞に大きく掲載いただいたこと連絡が入りました。
出版業界や読書家を対象とした新聞だそうです。執筆された方も音楽の専門家です。ありがとうございます。
 

本という形になることの怖さ、そしてそれを生むための新たな勉強に向かうことの厳しさなどなど痛感しています。特にこれまで日本語で読めるものが少ない分野のものです。正確な情報や最新の情報、そのことにとても神経を使います。この本の執筆の時もそうでしたが、現在講演などでお話をする機会も多く、また折々プログラムノートやコラムの執筆も続いており、そのたびに複数の資料を参照します。しかし、その資料ごとに同じ事象に対して異なるデータ、情報が掲載されていることも多く、これはとても頭を悩ませます。原則として最新の資料を参考にしますが、最新の出版であっても、時折??ということもあります。

楽譜の世界でも、日々研究者、音楽家ともに「なにが本当の作曲家の意図なのか」という視点で、喧々諤々やっています。同じ作品に複数の出版があること、新たな資料が出てくるたびにその発表をもとに、新たな演奏への試みがあること・・・・すべては作曲者の本当の意図に迫るという姿勢からです。

永遠の謎というようなこともあり、存命の作曲家でない限りは天国へお伺いをたてることしか方法はないのかもしれません。でも作曲家も、「あ~実はあれはね~~」と、後年意見を翻していることも度々あるので、
真実とはなんぞや、というそのような命題にまで発展することなのだろうと思います。

演奏家としては、聴いていただくコンサートの瞬間に、「この作品は、こういうものだ!」という確信に満ちた演奏をすることが音楽家の使命だと思っています。それは一通りではなく、演奏家の数ほどあるでしょう。
いわゆる説得力のある演奏という表現をされるものは、演奏家それぞれがきちんと作品と向き合って、一つの答えを持っており、それを指揮者であればオーケストラと共有して作り上げている・・・そのようなものであろうと思います。

さて今日は、授業をもっている、国立音大ウィンドシンフォニーの定期演奏会です。
大学の講堂で開催されます。本日18時30分開演。1,2年生による演奏です。学びの途中の学生たちです。
現在の姿、現在の彼らの力で取り組んできたことの発表でもあります。お時間ございましたらお聞きいただけますと幸いです。彼らの道は始まったばかり。個々の個性の違い、力の差はあります。でもそれは未来にむけてそのままではありません。変化し、成長する途中の彼らなのです。人間の成長は一通りではない。教育もそれにあわせた柔軟性が必要だと自分は考えます。音楽家は結局「個」です。その「個」が何をしたいのか、「個」の集まりの時に何をすればよいのか、どうすればよいのか、多くの現場で若い力は学び取ってゆきます。

相手を知り、ほかの「個」が出す音を聴き、考え、判断し、音の会話は柔軟に、そんなことを一瞬の間に行ってゆく合奏の現場。その厳しさも楽しさも、若い力がたくさん吸収してほしいと願っています。

 

読書人 6/26号 (640x320).jpg

 

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コメント

コメント一覧 (4件)

  • 作曲者の自作自演は、意外につまらない場合が多いように思います。ですから
    「演奏家としては、聴いていただくコンサートの瞬間に、『この作品は、こういうものだ!』という確信に満ちた演奏をすることが音楽家の使命だと思っています。」を頼りに、新田先生の演奏を楽しみに会場へ急ぐ訳ですね。
     コンサートの後、とくにシベリウスには、失望したという気持ちになったことがありません。

  • 演奏家の数だけその曲の演奏があるという。そんなこと考えても見ませんでした。これからは演奏会に行くのが楽しみになりました。226頁の5行目に「中山新平」とありますが、「中山晋平」ではありませんか?

  • junsin様
    コメントありがとうございます。演奏家としては、作曲者が指揮される時は、大変に興味津々で拝聴しています。また作曲家がほかの作曲家の作品を手掛けられるときも、いろいろ面白いことが見つかります。いずれにしても視点が多面的に置くことができるという作品は、名曲と言われるようです。
    自分も、楽しみに足を運んでくださる方のお気持ちを裏切らないように、演奏に努めます。

  • 佐藤好晴様
    コメントありがとうございます。はい、楽譜の音符は一つの設計図であり記号ですね。それを生きたものとして空間に解き放つとき様々なものが生まれます。拙著へのご指摘ありがとうございます。はい、間違えておりました。大変失礼しました。出版社のサイトには訂正が随時掲載されており、こちらの件もあがっていました。申し訳ありません。お名前を間違えることは本当に気をつけなくてはいけませんね。失礼いたしました。

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