昨年2月に80歳を迎えられた作曲家、一柳慧先生の音楽祭ともいうべきコンサートにでかけた。
3年前にフィンランドがご縁で一柳先生とご縁をいただいた自分。遠くは20代後半に一柳先生が講師を務められていた一般向け現代音楽講座に通ったことが初めの出会い。と言っても当時は単なる受講生として講義を拝聴していたのみ。
この日は
私のうた(1994年) sop.吉川真澄 marimba 神田佳子
忘れえぬ記憶の中に(2000年) fl.木埜下大祐
シーンズI (1978年) vn甲斐史子 pf大須賀かおり
時の佇まいIII (1987年) harp篠崎史子
パガニーニ・パーソナル(2台ピアノ版)(2011年) 飯野明日香 福士恭子
ピアノ音楽第8(2012年) pf.一柳慧 electronics有馬純寿
雲の表情 Ⅳ(1987年)、Ⅸ(1989年)、 1(1985年) pf.高橋悠治
夏の花(1982年) harp.木村茉莉 pf.木村かをり
森の肖像(1983年) marimba菅原淳
レゾナント・スペース(2007年)cl.板倉康明 pf一柳慧
ピアノ・メディア(1972年)pf.高橋アキ
1972年から2012年までの40年にわたる作品が錚錚たる演奏家の皆さんにより演奏された。
この40年間という時間は自分にとっても中学生~現代という、音楽に様々な方向から向き合い続けた時間でもあり、個人的な歴史を振り返る時間でもあった。
中学生、高校生の頃、まったく専門家としての音楽の関わり方は想像しておらず、逆にいうと非常に多面的にかかわっていた。ピアノの学習以外に吹奏楽と管弦楽という2つのアンサンブル媒体の中で多くの作品に向き合っていた時間は、現在の自分に貴重な時間であったと思う。
一柳先生には20代後半での出会いがあったが、それ以前に現代音楽というカテゴリーは、打楽器音楽の伴奏というもので出会い、音大時代学生の新作試験の指揮というもので向き合い、いずれにしても音大以前の時間では触れることのなかった世界。でも実は日常生活の様々な面でこのカテゴリーには出会っており、知らず知らず現代音楽というコンセプトを受け止めながら育ってきているということは、後から発見して認識した。
作曲という才がゼロである自分は、作曲家と作品の間に存在するものの分析を結果的に仕事にしている。
この日も、自分には届かぬ作曲家一柳慧氏の思考と現実の音との間を、あれこれと未熟な頭で考えながら、そしてそれを心身で表現する演奏家の皆さんの音の世界から目と耳が離せなかった。
個人的に知り合いのピアニスト、福士恭子さんが演奏された2台ピアノによる作品は、オリジナルは打楽器のもの。とても面白かった。演奏も刺激的だった。福士さんは日本フィンランド新音楽協会の事務局長をされている。いわば同僚、同士でもある。ラハティの音楽学校でピアノを教えていらしたときに出会っている。明晰で鋭いピアノ演奏はもちろん語学堪能で勉強熱心。現在続けていらっしゃる「波紋」というタイトルを持つ、フィンランドのピアノ作品の紹介リサイタルはいつも魅力的な作品がならぶ。
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