19年

1995年1月17日、犠牲となった多くの魂にあらためて深い哀悼の意を。

1995.1.17から19年という歳月の間に、自然災害国として何をしてきたか、3.11からの歩み途中の中で、
そして日々大小の揺れを体感している今、不安と疑問を抱える。

関西で縁のある大学生たちは19年前の震災の記憶は薄い。乳幼児の時期に体験している。
その話を昨年耳にした時、同じ大学の公演準備に当時通っていた自分の経験までの年月を非常に感じた。

耐震工事の遅れを昨夜報道していたが、19年という歳月の中で遅れが日本にとって大きな致命的な問題になることを、もっともっと正面から取り組むべきではなかったか・・・。
さらに大きな3.11を経験して、複層的な問題に身動きできなくなり、今なお日本がやるべきことの手順がどうにも後手後手にまわる傾向を強く感じている。

小さな国土の日本が、どんな国になろうとしているのか・・・
それは誰によって方向を決められるのか・・・

おそらく今現在理想を述べても現実化の部分でまったく相手にされなかったり、絵空事としてかえって反社会性を疑われたり、事態は恐ろしく難しく大変な状態になっているのだと思う。
単なる一音楽家が何の根拠も検証も持たずにこうして書くことはある意味危険なのだろう。

それでも、本当に毎日、頻繁に小さく揺れているこの千葉の一角にいるだけで、
自然災害と隣り合わせで生きる運命を背負う国が何を一番初めにしなくてはいけないか・・・
素人ながらも日々考えるわけだ。

生き物の命が続く限り、地球規模、宇宙規模の災害も迫ってくる未来。
そこまで不安をかかえたら生きてゆくことさえ難しくなる。
命をもらった生き物の礼儀として、少なくとも同時代に生きている命ある者、生物、動植物、環境、
そこへの視点は忘れずに過ごしてゆきたいと、ちっぽけな力の自分はそこまでは考えている。

身近なところでは、自分で後始末できないごみは出さない、作らない努力が必要だ・・・と、
かなり次元は違うが、それを考えている。

さきほどもまた小さく揺れた千葉の大地、揺れない日がない。
小さなエネルギー放出の連続を希望するが、大地の動きははそんな人のちっぽけな願いをあっさりと吹き飛ばす。だから人は人の知恵を思いっきり発揮し、そこにエネルギーを投入する。
どんな生き物よりも考える力を脳みそにもらっている人間だから。
ポンコツなりに、使うのだ。立ち上がり、脳みそが大きくなった理由は、「考えよ」という指令でしょ。

19年前、関東への戻りが一日遅かったら阪神淡路大震災を大阪で体験していた。
何度も折々書いているが、1月17日の朝の関東の凍りついた空気は忘れられない。

尊い命の教訓を忘れない「伝える」努力をしてゆこう。

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