読響拝聴

移動続きの怒涛の日々がひと段落している。

次の仕事の仕込みをしながら、比重を12月頭のシベリウス協会企画準備にかける日々。

少しずつ他人様の公演も拝聴できるペースとなってきた。

 

楽しむ・・・という日本語に複数の意味が見え隠れするのは

使いながらきっと多くの人が感じている。

 

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読売日本交響楽団定期演奏会を拝聴した今夜、

それは素晴らしく楽しんだがenjoyだけではなく、それはfunでもない。

interesting, そしてexciting。でも決して声を荒げた「すげ~~」ではなく、

瞬きをするのも惜しいほど見つめたステージから実に多くの宝物を得たことへの感謝と感激、

おかげで目はすっかり乾いてしまい、自分の音楽細胞が心より喜んでいたのを感じている。

コンサートの半分以上は勉強の気持ちで聞いてしまう。

それが発見と刺激と自分の内側に生まれた思考がある種の確信とに満ちたものだった時、

楽しみの中で机上の勉強より数倍深く何かを獲得することがある。

 

デジュ・ラーンキ氏のピアノは何年ぶりだろうか・・・。私の世代が大学生だったころ、まさにこの方のお名前ばかり聞いていたように思う。お姿に年月を少し感じたものの、今回のブラームスピアノ協奏曲第2番、柔らかな大きな室内楽のようなアプローチ、すべての音の意味が途切れなく紡がれ、ますます私の目は乾いたわけだ。

マエストロ上岡さんは、すべてを刻む指揮はされない。しかしすべてが身体に入っている。美しいサポートをされていたと感じた。

休憩後のブラームス交響曲第3番。私はまだこれを2度しか指揮する機会を得ていない。ブラームスの他の3曲は比較的多くの機会がこれまでもある。格段に難しいとされる3番。その理由は?

自分の3番読譜の折の一つの理想・・・・切れないこと。調性的にも構成的にも。デリケートな糸で織りこんだ一つの美しい織物の作品のような交響曲。その現実の姿を拝聴することができた。

協奏曲の時に客演のチェロトップによる繊細なソロも本当に素晴らしかったが、交響曲でも“あの”よく知られた3楽章冒頭は、スコアの強弱を丁寧に実現して、チェロセクションだけではなく全体が「すべてを聴き、知っている」というアプローチを実現させようとしていたと感じた。つまりは室内楽。

テンポ、リズム、タイミングを合わせる、ということではなく、音の意味の共有。音の重さ、調性の色、相互の力学、それがすべてのセクションにしみわたり共有しアンサンブルを実現するという室内楽の大切な核。そこを丁寧に作っていらした姿をひしと感じた。これだよ!と心中喜びながらそれを実現されたマエストロにただただ敬服だった。

 終演後、この公演のリハーサルに通っていたお弟子様とマエストロの楽屋をお訪ねした。きちんとご挨拶するのは初めて。春にシベリウスの4番を新日本フィルで指揮される。勉強させていただきたいと思った。

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • 以前にブラームス4番を拝聴しました。
     大学生のオーケストラでしたから、先生の意図を表現しきれないもどかしさはありましたが、しっかりした構成の中に、しみじみとした情感が満ち溢れた演奏に感銘を受けたことが忘れられません。
     

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