新年度に入りました。
年度末、先週土曜日に恩師の訃報が届きました。
18歳から7年間師事しました。そのレッスンは厳しく、厳しく・・・
しかし指揮者としてスコアを読むことの基本、
指揮者がやらねばならぬことの心がけ、
その基礎を叩き込まれた7年間ともいえます。
大学4年の時に教員試験を受けるか、勉強を続けるか・・レッスンの折の先生の一言がなかったら、
今の自分の道はなかったかもしれない・・・。
この7年間の後、自分は桐朋学園のディプロマに進みました。
小松一彦先生、天国へ旅立たれました。享年65歳。早すぎます。
2年前倒れられて以来闘病の日々、いつか不肖の弟子の不義理をお詫びに伺うことができればと願っていましたが、言葉が届かない世界へいかれてしまいました。
18歳のひよこの前の卵であった自分は、ただひたすら先生のレッスンと、先生の仕事の現場へ通い、
学生オーケストラで指揮をされる先生のもと、ヴァイオリンも弾き、関西の楽団の常任指揮者をされていた時期は、夜行バスで関西にも通い、いつの間にか専攻の教育音楽とは別の方向へ勉強の道が変わっていました。
大学卒業後2年ほどして、いろいろな考えのもと先生のもとを離れました。
そして桐朋学園のディプロマに入り尾高忠明先生の門下となり今に至る・・・そんな勉強の歩みでした。
かなり時間が経ってから、人づてに小松先生よりメッセージを受け取りました。
それは本当にうれしく、あらためてこれまでの不義理を恥、申し訳なく思いました。
いつか、先生の目の前に伺い お詫びと、これまでのご報告をと思い続けていましたが・・・・
無念です。
しかし、ご無念は先生の方が強いことでしょう。
ロシア、チェコの楽団とのお仕事が決まり、更なる大きなご活躍へと続いていた矢先でした。
先生の思い出はつきませんが、
とにかく若いころの自分にとっては、その厳しさに心身凍りつくような想いでした。
しかし背景にある作品、作曲者、そして音楽への愛情と本物の洞察力、分析力、そのことが
関わる人すべてに演奏の厳しさ、指揮することへの厳しさを全身で伝えてくださっていたと思います。
指揮研究会での合宿でも、指揮法だけではなくスコアリーディング、アナリーゼの基本を紐解いてくださいました。音そのものへの厳しい姿勢は、
「君たち、音楽に関わるなら、なぜそんなに無造作に音を立てる!?」と、モノを動かす時、自分が動くとき、
不必要な雑音をたて、騒々しく話す我々への喝は忘れられません。
それ以来でしょうか・・・・自分は音を立てるもの、鈴や金具など、決して身に着けなくなったのは・・・
リハーサルや公演の会場、音楽が溢れる会場に自分が音を出して入るということは、そのことだけで
音楽作品を邪魔することにある・・・そんな意識がしみついています。
先生が執筆されている、指揮法のご本、その写真撮影には我々がお手伝いしています。
先生の背景で黒い幕を持っていたり・・・指揮棒の角度をチェックしたり・・・
文章などを校正手伝いをされた先輩もいたはずです。
今の時代と異なり、我々の頃はまだまだスコアを入手するのに手間と時間がかかりました。
価格も異なりました。海外からの輸入など、本当に大変なことでした。
先輩や先生のスコアを参考にさせていただくことも多かった。
一度、小松先生のお宅のお引越しをお手伝いした時、先生のスコアを1冊いただきました。
モーツァルトのディヴェルティメントです。先生の書き込みがぎっしり。
とうとう宝物、形見となってしまった・・・・・・・・・・・
25年間、ついに一度もお目に掛かれなかった。
先生のご活躍や演奏会の放映など、折々お姿を拝見することはあっても、
不義理の自分はなかなかお伺いすることをしなかった・・・
まだ、何もご報告できない、まだ何も先生に申し上げられない・・・・そんな想いも抱えていた。
すべてに遅すぎる自分を、情けなく思う。
先生が携わっていらしたお仕事、
吹奏楽クリニック、東京佼成ウィンドオーケストラ、大阪市音楽団、青山学院管弦楽団・・・
奇しくも現在、ご縁を頂いている自分。
あの7年間の教えに恥じない活動を続けられているだろうか・・・
天国でちゃんとご報告ができるように歩み続けること、
自分の残りの時間の一つの宿題となった。
先生のご冥福を心よりお祈りします。
そして、本当にありがとうございました。
安らかなる眠りを。
コメント
コメント一覧 (2件)
小松一彦さんの記事をあれこれ読ませていただいていて、学生時代に青学の学生オケの演奏会で一度だけ(これが本当に心残りです…)小松さんの指揮を目の当たりにして度肝を抜かれた記憶だけが鮮明に蘇り、曲目はなんだったかなぁと探しているうちに見つけた青学オケのページで新田さんのお名前を拝見しました。
上智大学のオーケストラ時代は「管弦楽部、フルート科、課外活動で英語をやってます。」と宣言していたほどの音楽熱に浮かされていました。当時の指揮者は汐澤安彦氏。大体において指揮者は自信家が多い(失礼!)と思っていたのですが、当の汐澤さんが小松さんを本当に褒めていて、「彼が指揮者になるなら、私はアシスタントで良いですよ」とか何とか言われたと先輩に聞いたのが未だに記憶に残っています。そこに来て聴いた青学の演奏会でしたから、なるほど!と納得してしまった訳です。
その後、何度かテレビ番組で拝見したくらいで、一度ちゃんと演奏を聴きたいなぁと漠然と思っていた矢先の訃報で本当にがっかりしてしまいました。もっと速く聴くべきだったと後悔しています。
実は学生時代は管トレーナーのまね事をやってまして、その後も(今思えば冷や汗物ですけれども)公開の席で棒を振らせてもらったことが何度かありました。最近は家でフルートを吹くだけで勉強もいい加減にしかやってませんが、小松さんのご本を入手してもう一度勉強してみようかなどと生意気なことを考えているアラカンであります。
長々と失礼しました。
貴重なお話し読ませていただき、感謝します。
竹内 愼
竹内様
コメントありがとうございました。様々な音楽体験をされているのですね。
小松先生を失ったことは無念でなりません。これから大活躍されると信じていました。
先生のご本や演奏の記録など、ぜひお手に取っていただけましたら不肖の弟子としても嬉しく思います。
失礼します。