18年の歳月

阪神淡路大震災から18年目。
東日本大震災はその記憶から遠くない時期に発生している。
日本は現在そういう国土の上にいるということを、もう少し真剣に切実に思うことを忘れていはいけない。

1995年の1月17日のことは、本当に記憶に残っている。
あの朝は関東は良い天気だった。前日に大阪から戻ってきていたが、
まさかその大阪があの大震災に見舞われるとは・・と 自分が凍りついた当時の感覚が残っている。

当時まだ相愛大学に勤め始めたころ、回数多く大阪に通っていた。
神戸大学、大阪大学、同志社交響楽団など京阪神地区の学生オーケストラとも縁が続いていた。
 

本日のニュースで、もう震災を体験している人が神戸には40パーセントしかいないということが流れていた。
月日とはそのようなモノなのか・・・・
その中でつないでゆくことの大切さを、様々なところで実践されている。
思い出したくない人もいるだろう・・・つらい記憶に向き合えるようになるのに時間がかかる。
それでも日本の記憶として、この近年の大震災は必ず記憶し、それをつないでゆかないといけない。
日本すべてが国土の危機、国土の危険をはらむ状態から目をそむけてはいけない。

人類は自然の一部・・ということは、自然には逆らえないから仕方なく流されるのではなく 自然の厳然たる姿をきちんと見据えて、人類として次世代に命をつなげる方法を見つけてゆくこと。人類の知恵は何のため?
 

室温が12度になって暖房器具のスイッチをつけたときに思った。
スイッチオンで確実にあたたかくなるという環境は、どれほどありがたく平和なことであるか。しかしその暖房の大本を確保し維持するために、どれほど大変な労力と問題を抱えて現在があるのか・・・・・・・
このことが直接的な原因ではないにせよ、一つのエネルギーである天然ガスにかかわる現在拘束されている「日揮」社員の皆様の安否を気遣わずにはいられない。
一昔前の「エネルギー確保戦争」を描いた某小説で見えていた企業戦士の姿、それはきっと現在も続いている。形をかえて、価値観をかえて。
変わるべきは我々一人一人の価値観。現状のまま誰かに何とかしてもらおうとしている限り、何も変わらない。

日本には可能性もたくさんあるけれど、同時に大きな問題もたくさんある。
かたっぱしからやっつけたい気分、自分のこともね。
 

限られた人生の時間、可能性は追及あるのみ。

 

 

18年前の震災も2年前の震災も、多くの犠牲者の方々の御霊が安らかなることを祈るばかりです
 

 

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